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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

行きずりの人の親切な言葉

毎月1回、実家に新幹線で帰省している。

いつも窓側E席に座るのだが、ここ2回ほど隣が男性ビジネスマンだった。

先に通路側に座っている男性に声をかけて窓側に座るのだが、男性は席を立ち私が引く小さめのキャリーバッグを棚に上げましょうかと申し出てくれた。

キャリーバッグは横にねかせて足元、正確にいうと両足ではさんだ形で置くので、私は毎回丁寧に断る。

だが、私が遠慮しているのかと思うのか、いやいや遠慮せず、という感じてくり返し言ってくれる。私は上着を脱いだりケースからリュックをはずしたりと座る体勢に持っていくべく淡々と作業をしながら横顔で申し出てを断ってきた。

しかし、今回2回目にその親切な言葉を聞き流した後、ふと思った。

人の親切に対してなんと無礼な態度だろうか。

言葉は丁寧だよ。ありがとうございます、大丈夫です、とこちらも繰り返して言っているのだから。しかし、顔も向けず目を合わさずとは!これはいかん、いい年こいてこの態度はいただけない。

 

そういえば、コロナ前、外国人男性が子供連れの母親の荷物を申し出て棚に上げていたな。

日本の男性も、こういう光景を目撃することが増え、女性に親切になってきたのだろうか。(なぜなら若い頃から新幹線をよく利用しているが昔はそんな親切を受けることは滅多になかった)まあ、いい。本題はそこではない。

 

もう一つ、新横浜でのこと。車中で食べるランチのパンを買った時、店員さんが「お気をつけて、またのお越しをお待ちしています」と言ってくれた。この「お気をつけて」です、キャリーケース持つ私がこれから新幹線に乗るだろうと予想しそえたこの言葉。どうもありがとうと返したが、ここでも私はその店員さんの目を見なかったのだ。

スーパーやコンビニでのやり取りの言葉は、基本マニュアルにそっていて、そこに気持ちがあるとは思えず、こちらのありがとうございますも、反射的に声に出しているくらいなのだが、、。

今朝の店員さんの言葉も新横浜店ならではのマニュアルかもしれないけど、言われて心にコンと響いたのなら、目を見てお礼を言うべきなのだ。

 

今日の気づき。

知らない人から親切な言葉をかけられたら、目を見てお礼や応答をしよう。

(これまで出来ていなかった自分を大いに恥じつつ)

 

その人の親切が、ひょっとして軽い義務感からだとしても、目を見る、あるいは顔を見ることで、交わすプラスの感情がきっとあるはず。

 

 

 

今年の桜

毎年、花見を必ずする。

娘が中学生までは、家族3人でどんな状況でも花見らしいことを実行した。天気にも左右されるから休日にできない時は、平日夜桜を見に近所の公園に3人で出かけた。缶ビールとおにぎり、一応シートまで持参したりして。今年、Facebookの〇年前の思い出という機能で、その時撮った夜桜が出てきて懐かしかった。

去年は家族とではなく、友人と上野公園に行った。
今年は、同僚と激込みの中目黒川沿いを歩いた。また、ワンコと多摩川沿いの桜並木を何度か歩いた。


実は今年、ほぼ満開の桜を見ても心の中からきれいだと思わなかった。天気のせいだろうか。人込みの中で見たせいだろうか。(人込みでも見事な満開だったのは事実)多摩川の桜も近所の立派な枝ぶりの桜も、花曇りの中、年々白くなっていくソメイヨシノがはかなげに揺れていた。
桜を見てきれいだと思えない自分にショックだった。
毎年、桜を見て今年も桜を見られて良かったなと思うことが多かった。桜の美しさを愛でる以上に、一緒に見た隣の人を想い、小さくても大きくても幸せを感じていたと思う。

桜を美しいと思えない自分の心持ちについて考えたが、どうもこれだというのが思い当たらない。

入院中の母のことが心の隅でいつも気になっているから?
毎日電話する父の声の張り具合のせいか?元気だと少し私も元気が出るし、沈んでいると心配で少しだけ気持ちが落ちる。そんな状況のせいだろうか。
時々感じる、腰からくる足の鈍痛のせいだろうか?

桜を心からきれいだと思えなかった自分の中の理由を考えながら、昨日の春の嵐で花ちりぬ、を予想しながら多摩川に行ってみた。
すると、予想に反してしぶとく多くの花が枝にしがみついていた。

肌寒い夕方、7割くらいになっても咲き誇っている桜を見て、つえーな。と思った。

きれいだねえ、ではなく、つえーな。

桜を見て、そう思える年もあっていいか。

写真は、目黒川と、多摩川(先週)の桜&久喜


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専念寺/ネコ坊主さんの言葉 -2:自分の目と耳で確認/母の延命治療のこと

母は、去年6月に誤嚥性肺炎で緊急搬送されてから2回転院し、11月から今の病院にお世話になっている。今の病院は嚥下の訓練やリハビリはなく、看取りをしてくれるところだ。程なくして、手や腕からの栄養点滴ができなくなり、足の付け根の血管にカテーテルを取り付ける中心静脈栄養の処置の承諾書を提出した。

これは延命治療の一つだと思うが、それまでかたくなに延命治療はしないと言っていた父が、あっさり承諾していた。どうやら父の考えていた延命治療は胃ろうや管に繋がれた状態になることだったらしい。

それから3か月。母は以前にもまして痩せてきたが、顔の色ツヤはいい。全く口から食べなくなったこともあり、タンの量も減ったようだ。しかし、飲み込むこととしゃべることは同じ喉の筋肉を使うらしく、声を発することがほぼできなくなった。小さくうなずいたり手を握ったり、別れ際にわずかに手を振ってくれたりしても、両目が開けにくく閉じたままのことが多くなってきた。

先日、頻繁に面会に行ってくれている叔母が母の様子を見て、あの状態で病院で死なせるより自宅で看取ることを考えてみたら?と言ってきた。叔母は母の境遇を自分に置き換えて、自分なら自宅でと考えて、母のことを思ってそう言ってくれたのだと思う。

友人が自宅で母親を看取った話をつい聞いたばかりの私は、自宅に連れて帰れば点滴が不十分になり1か月ももたない、つまり母の最期を看取るために1カ月間実家に帰って父と一緒に母を看取ることを考えてもいいのではないかと思った。毎日車で病院に通う父が事故を起こしたり病気で倒れたりするのと、母が逝くのとどちらが早いかわからない、、と嫌な考えも浮かんできたこともある。今度の帰省で、父に相談してみようか・・。

果たして、父は全くそのアイデアを理解しなかった。家で看取るのはどうか?という問いに、家では何もできない。病院でお願いするしかないと繰り返すだけだった。

父の、母に少しでも長く生きていて欲しいという思いだけがひしひしと伝わってきた。

ちょうどその日は、母が数カ月ぶりに言葉を発したのに驚き、父と喜び合って病院から帰った。とても小さな声だったけれど、私は母の言葉が聞き取れた。明日もまた来るね、と言ったら(仕事を)休んだん?と聞いてきた。そして食い入るように私の顔を開いた片方の目だけで見つめていた母を思い出し、母は私が来るのを待っていてくれているのかもしれない、そう思った。

そして、やはり家に連れて帰って母の寿命を短くするなんてできないと思った。母に会えなくなることがうまく想像できなかった。

翌日の面会では母の反応は鈍かった。母の手を握りながら「切手のない贈り物」を繰り返し歌った。それでも別れ際には、手をわずかに振ってバイバイをしてくれた。

 

周囲は、思えばこそいろいろ言ってくれるけれど、自分の目と耳で確認し、自分で判断すること、専念寺のネコ坊主さんの言葉をまた思い出した。

写真は、先月活けた椿とキンカン(実家の玄関)。そしてほぼ毎朝来ているらしい野良猫のフジ。


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莫逆の友:「おっさんずラブ -リターンズ- 」7話・マロの台詞より

「おっさんずラブ -リターンズ-」7話で、過労で倒れたちず(内田理央)に、マロ(金子大地)が「俺たち、莫逆の友じゃないっすか」と言うシーンがある。

”莫逆”?ってどこかで聞いたことあるぞ。林遣都の出演作品を掘り起こして観ていた頃に出会った徳井義実主演の「莫逆家族 バクギャクファミーリア」(2012年)という映画だ!

その時はタイトルにあった「莫逆」という言葉を、映画の内容から「激しい」とか「いっちゃっている」みたいな感じで調べもせず勘違いしたままだった。かつて抗争した不良仲間が大人になって昔の因縁に決着をつける・・みたいな内容だったのだが、私の中では「東京リベンジャーズ」や「HiGH &LOW」あたりより、よほど生生しく恐ろしい乱闘、暴力シーンがあった映画だったと記憶している。(東映だったし)

映画のことはさておき、改めて莫逆の友の意味をググったら、「荘子」の話が由来らしく、莫は「なし」という否定の意味で相手の意見に反論の余地なし→「親密な友」という意味とのこと。

友人の呼び方にもいろいろあるけれど、友人よりも友達のほうが、友達よりも親友のほうが、より深いつきあいを意味する気がする。荘子からの由来を呼んで、莫逆の友は親友の中でもソウルメイトと同じくらい深いつきあいで、魂で繋がっているか、価値観で繋がっているかの微妙な違いがあるように感じた。

そして、自分には莫逆の友がいるだろうか、と思った時、数名の友達の顔が浮かんだ。文字通り、話していてほぼ価値観が同じ人たち。一緒にいて自然でいられる人たち。彼女たちは私のバクギャクノトモだなあ。昔からそして今も、他愛のないことで大笑いし合う友達を思い浮かべ、今さら彼女たちを勝手に自分の莫逆の友と定義付け、一人悦に入った。

マロ、素敵な言葉をありがとう!

 

オマケ:「莫逆家族」の感想はこちら。この作品に、いずぽや(井浦新)が出演していたことにニヤニヤしてしまった!もちろん傷だらけ・・・

www.mitsumame.work

ついでに「HiGH & LOW」の感想。我ながらオモロイ。"FINAL MISSION "の感想に井浦新の名前あり!w

www.mitsumame.work

www.mitsumame.work

 

オマケのおまけ:「莫逆家族」のメイキング映像。若き日の林遣都のなかなか生意気な感じが新鮮。


www.youtube.com

 

 

専念寺/ネコ坊主さんの言葉:自分の目と耳で確認

専念寺/ネコ坊主さんのXをフォローしている。
「今日のお寺の掲示板」の言葉には、ハッとさせられたり慰められたり、有難いことこの上ない。

先月のことだ。
母が入院している病院に毎日車で面会に通っている父について、担当の看護師の方が車で来るのを止めたほうがいいと強く進言してくれた。病院を歩く父の姿や父とのやり取りで、体力も認知機能も低下していると思われる父が、車を運転して病院に来るのは危険だと。そして、その病院に併設しているデイサービスを利用することで、車で送迎できるからそうしてみてはどうかと言ってくれた。
確かに一石二鳥の提案だと最初思ったが、少し考えると父の介護度だと、デイサービスに介護保険で毎日は通えない。だとするとデイサービスのない日は結局車で行くことになる。

バスは路線乗り換えが必要な上、1時間に1本しかない。免許証を返納してタクシー割引カードをもらうことも以前父に進言したことがあるが、到底聞き入れられなかった。

地方の郊外、車がないと相当不便なのだ。

看護師さんの進言で、ずっと心の底に沈めていた父の運転不安が再浮上して焦った私たち姉妹は、父の介護保険の期限を確認したり、ケアマネージャーを手配しようとしたり急にバタバタしたが、結局本人の意志なくしてどれも先には進めなかった。

そんな時、専念寺のネコ坊主さんの掲示板の言葉が目に入った。

「他人から聞いたとか言われたからと言って

疑心暗鬼になってはいけない。

自分の目と耳で確認すべきです。」

そうだ!ああ言われたけれど、実際私たちは母の病院に行く時父の車に同乗しているではないか。もう一度自分の目で本当に危ないか確認しよう。抑えられない胸のざわざわが、その言葉で一旦落ち着いた。

そして今月の帰省。
いつものように同乗したが、全然安全とは思わなかった。確実に2回ひやりとした。自分の目と耳で確認してそう思った。
しかし、父は確かに気を付けて運転しているのもわかった。自分勝手で都合のいい考えだけれど、ほかのドライバーさんたちが、高齢者が運転する車が多いことを理解して注意深く運転していてくれれば事故は回避できるのではないか。(自損事故なら仕方ないが)
父の車の窓に今年私が送った交通安全のお守りが揺れていた。ほかにも2つ揺れている。「あれ?これは?」と見たら、2つとも私が送ったものだった。
神頼みしたから事故が回避できるわけなんてないだろうけれど・・。
祈るしかない。

昨年暮れに免許更新があった際、更新できないことを本当は願ったが、残念なことに免許は更新されてしまったのだ・・

今日の電話の父の声は珍しく元気があった。夕食におでんを作ったと言っていたが、おいしくできたのかな。病院の母が起きていたとも言っていた。

 

 

 

昭和夫婦 - 3:冬の飲み物 イチビキの甘酒

数年前から麹の効能が評価され、塩麹は調味料として家庭の冷蔵庫に居場所を得たと思う。米麹と塩麹、どちらが先にブームになったのかは知らないが、米麹が原料の甘酒も、健康飲料として様々な形態でスーパーに並ぶようになり、もはや定番商品となっている。様々な形態とは、瓶にはいった少しとろみのあるものから、紙パックに入ったサラサラで飲みやすいタイプ、フリーズドライものと、手軽さ、濃度、味もいろいろだ。

子どもの頃、母方の祖母が作った自家製甘酒をよく飲んでいた。どういうタイミングで自家製されたのかは知らないが、冬に温めて飲むよりは夏に冷やして冷たい少しドロッとした甘酒を子どものころよく飲んでいた。

数年前に甘酒がブームになって、市販されているいろいろなタイプのもを試したが、最近は、イチビキの甘酒に落ちついてきた。手頃な値段でスーパーで手に入るのことに加え、私にとっては祖母の作った自家製の甘酒に最も近いドロドロ感と味だからだ。甘いけれど自然の甘さだ。

温めても冷やしても美味しい。

家人は甘酒を冷やして飲むという習慣がないようで、もっぱら冬に温めたものを一緒に飲む。一時、コストコで買った紙パックでサラサラしたタイプのものを夏に冷やして飲んでいたが、私しか飲まないのでそのうち買うのをやめてしまった。

年末から正月にかけて本格的な冬になってくると温かい甘酒が欲しくなる。
イチビキの甘酒を沸かして夫婦ですすっていると、なんだか昭和だなあって思う。

イチビキの甘酒を検索して、メーカーサイトにアクセスしたところ、イチビキ株式会社は創業が1772年!!江戸時代から続く、みそ・醤油の製造から始まった名古屋の地場企業であることを知りました。すごい!

www.ichibiki.co.jp

 

 

「今朝の秋」(1987年NHKドラマスペシャル):笠智衆の父親像に、自分の父が重なる

昨年暮れ、脚本家の山田太一さんの追悼番組で再放送された本作を見た。

物語は、余命3カ月とわかった息子(杉浦直樹)を、父親(笠智衆)と別れた母親(杉村春子)、嫁(倍賞美津子)が見送るというものだが、それぞれの関係性が微妙で、彼らの心の機微が丁寧に丁寧に描かれていた。

80歳近くまで生きて、50代になった息子に先立たれる父親を、笠智衆が哀愁と諦観、そして慈愛に満ちた表情で演じきっていた。杉浦直樹の演技も素晴らしく、大人になっても親は親、子どもは子どもであることをしみじみとかみしめた。

 

実は、正月に実家に帰省した時、まさに90歳近い父親と過ごす中同じことを感じた。

帰省したその日、煮しめ2回戦目(1回目は自分の家で)を終え、久しぶりに高校の友人たちと夕食後に会った。父には10時頃には帰るよと言って出たのだが、コロナ期間もあって4、5年ぶりに会った友人もいて大いに盛り上がり、気づけば11時半近く。帰宅したのは11時半を過ぎていた。
とっくに寝ていると思っていた父は、居間でテレビをつけて待っていた。「ごめん」と言ったが、父は一言もは発せず、めちゃくちゃ怒っているのだろうか・・と恐縮しながらそそくさと風呂に入り部屋に退散した。そうしたら布団が敷いてあった。
母は寝たきりになる前、よく寝床の用意をしてくれたが、父が布団を敷いてくれたことは記憶にない。風呂に入る前に部屋のエアコンをつけたから布団に暖かい風が当たったのだろう、布団が温まっておりすぐ眠れた。
朝起きても布団全体が温かい、なんのことはない、父が電気毛布を敷いてくれていたのだった。(電気毛布を使う習慣がないせいで寝る時は全く気がつかなかった)

昨夜の沈黙といい、電気毛布といい、父の愛情が身に染みた朝だった。
母に会いに、父に食事を作りに帰省しているつもりが、実はいつまでも子どもとして面倒をかけているのは私のほうだった。(親孝行のまねごとをさせてもらっているという意味でも)

ところで、小娘でもあるまいし何時に帰ろうが小言をいうはずもないのだろうが、あの夜の父の無言はしばらく忘れないだろう。そして肝に銘じた。沈黙こそ相手に応える時があるということを。出かけたらいつも終電ぎりぎりで帰る自分の娘に、これからぜひこの戦略でいこうと、身をもって父から教えてもらうこととなった。

 

作品に戻るが、笠智衆演じる田舎で暮らす父親の在り様と自分の父親が少しばかり重なり、年明けの実家での出来事と一緒に、忘れられない作品になった。

 

 

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