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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

久喜の親指

在宅ワークで久喜と毎日べったりいる。集中した後の気晴らしで、絶対噛まない久喜の顔をむぎゅ~としたり、肉球を触ったりしている。

もう2年もそんな生活なのに、つい先日!久喜の前足の親指を発見した!

写真右側の、私の指が指す先、毛に隠れそうになっているが、退化して爪がない久喜の親指だ。

後ろ足には見つからない。使わないから失くなったのかな。


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歩けなくなった母の足の指の爪も、一部退化して、ほぼ点みたいになっていることを思い出した。

冬の日だまりの思い出

冬の日の思い出は、小学校にあがるだいぶ前、日だまりのある部屋で編み物をする母の側で、ごろごろしていた記憶だ。たぶん、着せ替え人形とかぬりえとか、絵本とかで一人で遊んでいたと思う。

3時頃になると、母が牛乳を人肌に暖めて砂糖を入れ、ストローをさして出してくれるのを飲むのが至福だった。

なぜそんなことを思い出したかというと、南向きの仕事部屋の日だまりで、久喜がぬくぬくと気持ち良さそうに伸びているのを見たからだ、

久喜にとっては、静かな暖かい部屋、大好きな母ちゃんと一緒、まさに至福な時に見える。本当はどうか知らないけど。


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2枚目は、ふと見たら、表情が俳優の吉岡秀隆に似ていた久喜。(!)

 

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MRI検査と補陀落渡海

MRIの検査を受けたのだが、白いドームに入っていった時、突然「補陀落渡海」という言葉が浮かんだ。
かなり前に読んだ「補陀落渡海記」という小説で知った言葉で、僧侶の捨身行の一つ。小さな船に乗って海に流され、そのまま浄土に行くという。

井上靖の小説では、補陀落渡海を決意した僧侶が、船出の直前で未練が出て、行を止めたいと思ったが周囲に許されなかった、という話だったような気がした。うろ覚えも甚だしいので、記憶がすり替わっているかもしれないが、小さな船の中で逃げられないように蓋をされたような気がする。(その時点で棺に入っていると同じだよね)
MRI検査をしている状況が、まるでそれと同じように思えた。

動かないように胴体を固定され、磁気を通す(?あるいは磁気が通っても安全なのように?)結構重いマットみたいなものを体にかけられ、手は胸の前で触れ合わないように置き、片手には耐えられなくなった時に知らせるブザーを握らされた。
体がほとんど固定されて動かない状況が、小さな船(小さな点では同じ)に乗せられ、動けない状況で死への旅路から逃げられなくなった僧侶と同じ状況に思えたのだ。
もちろん、死への旅路ではないけれど「やる」と言ってお願いして、直前にやりたくないと思っても、もうやめられない状況であることが同じ。

 

MRI検査を受けた人ならわかるだろうが、「カーン、カーン」とか「ゴンゴン」とか、とにかく宇宙船にでものっているような大きい音が響く。ヘッドフォンからはヒーリングミュージックも流れているのだが「カーン、カーン」の音量には到底かなわない。
「呼吸がゆっくりになるから寝ないでね」と言われたが、こんな大きな音がする中眠れるわけないと思いきや、閉塞感と体が動かせない不安から逃れようとするのか、つい意識が遠くなる瞬間がある。すると「呼吸がとまっています」とアナウンスが入って起こされる。

こちらは不安以外にも、まっすぐ板に寝かされたことで(持病の)腰痛が起こり、それもなんだか苦しく意識を飛ばしたいと思ったしまうのだったが、2,3回「呼吸が止まっています」というアナウンス。止まってないよ、止まったら死んじゃうやん。補陀落渡海で浄土に行っちゃうよー。早く終わってくれないかなーと思ながら、20分~30分程度の”行”に耐え、やっと解放された。

 

実は、検査に行く前に家族とヒトモメして、怒った後沈んだ気持ちで病院に向かった私。あの言いようはないだろう、と相手を責める気持ちでいっぱいだったけれど、後からよくよく考えれば、私の(良かれと思ってした)行為も、相手の状況を考えてあげてなかったことに気づいた。

MRI検査(=私の中で勝手に”補陀落渡海”)をやって、その時は自分が修行して他(この場合私の家族)に少しでも光明があることを、なんて変な願い(?)が頭に浮かんだけれど、なんのことはない。”補陀落渡海”で、自らの過ち(というには大袈裟だけれど)に気づかされたことになった。やはりあれ(MRI)は、私にとってある意味補陀落渡海だったのだ。

                          ―  変なブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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年賀状を書く

私と同年代の知り合いは、会社を退職した後、年賀状を卒業する旨を伝えて、年賀状作成から足を洗ったそうだ。

老齢を理由に来年よりご挨拶を遠慮します、と告げた親戚のおじさんの年賀状もある。

毎年、50枚くらいにならんかな、と思いつつそれを超えてしまう。それでも2年くらい前から70枚を切り、今年はついに60枚を切った。

 

大竹しのぶは日本郵便のCMで「大切な人に」というが、自分を振り返ると、出している相手皆さま全員が私にとって”特別な大切な人”と言えるだろうか?と疑念がわく。
というのも十年単位で会ってもいなければ、LINEやメールのやりとりがあるわけでもない、大学時代のかなり上の先輩や、新入社員の時2年くらいお世話になった先輩、最初の異動先のモールで1,2年一緒だったアルバイトの男の子(今は立派なお父さん)などなど、私が年賀状をやり取りしている相手は、先方も律儀に年賀状を出し続ける人というだけだ。

確かにその人々にはお世話になった。苦楽を共にした。若気の至りで迷惑もかけた人々だ。届いた年賀状を見て、結婚しているのか、どこに住んでいるのか、お子さんたちはもう中学生か・・・とそんなことをぼんやり認識しているだけの彼らの当時の顔を思い浮かべながら、若かりし日の自分を思い出す。

そう!
私にとっての年賀状を書くとは「大切な人に」というよりは「大切な、その人と一緒だった時の”過去の自分”」へ思いを馳せる行為であることに気がついた。

過去、しかもかなり大昔の、もはや思い出してもなんの参考にもなりそうにない過去を振り返ることに意味があるのだろうかとも思うけれど、まあ、その時間も人生の1ページと言えなくもない。

ということで、今年は、イラストの下に手書きで「お元気ですか?」だけでなく、もう少し自分の近況をつづることにした。それすなわち、今年の自分の1年をおさらいして1,2文にまとめるってことなのだ。

なんとしても、明日までには投函しよう。

 

※日本郵便の大竹しのぶと芦田愛菜のCMをネットで見ても「大切な人」という言葉が出てこないのだけれど、TVで確かにそう聞いたのよね。この言葉がないとこのブログが始まらないので、もし聞き間違いだったとしたらご容赦いただき、放念してください。

 

母の介護認定日

いきなり物騒な話だが、昨日父が「(老々介護していて)心中する人らの気持ちがわかる。お前らがいるからできんけど」と電話越しに言った。

最近、自分の体力もなくなってきているせいで時々気弱な発言をする父だが、たぶんまた母のトイレでうまく対処できず落ち込んだのだと思う。

 

前々回帰省した時の、父の沈んだ後ろ姿が目に浮かぶ。全部開け放たれた窓。暖かい秋の日だったけど、さすがに夕方に近づくと寒くなり、窓を閉めて気づいた臭い。父にトイレ用洗剤を渡したらあっけなくスッキリした。私が手袋を出してやる前に父がカーペットをタワシで擦っていた。

 

昨日の電話の発言は、また失敗して大変だったという話。オムツ換えの時だけでもヘルパーさんに来てもらえば、と言っても、自分が動ける間は断固頼まないという。その頑なさは、これまでいろんな方向から懐柔したり、きつく言ったりしてきたがずっと変わらない。

挙句に(娘の私達が)遠くにいたら、何の助けにもならない。と久しぶりに恨み節が出た。

確かにそうだ。月1回帰省して、掃除して食事を作るくらいでは何の助けにもなっていない。

だからこそデイサービスが休みの時は、ショートステイも考えてみればと押し問答してみたが、人の助けは借らんと、とりつくしまがない。電話で言い合ってもらちが明かないと話題を変えたら、30秒後には父は悪態をついたことも忘れていた。

 

電話を切った後"心中"という言葉が頭から離れず、もう一度電話しようと思ったが、もう寝ている時間だったりで、電話にでないとまた不安になるし、今どうにもならないことをくよくよ考えまいと念じた。(翌朝、電話でしたらいつもの父だった。)

 

毎回帰る度に衰えていく両親を確認するだけで、少しでも二人のQLを向上する手だても講じることが出来ず帰途につく。時間の遣り繰りをして、夫と娘に少しだけ不自由をかけて、私のしていることは意味があるのかなと思う。

どんよりしながら郷里の駅に降り立ち、バスに乗ったら、今日は運賃無料の日だった。(「路線バス運賃無料DAY」だって!初めて遭遇した)

実家に運んでくれるバスが応援してくれているみたいだ。母の介護認定で帰省した今日、一頑張りしてこようと思う。

 

 

 

久喜の誕生日:10歳になりました

誕生日の前日に、ずっと腰にあったおでき(表皮嚢胞)が破裂して流血した久喜。

血が出ているのだから、痛みもあるのだろう。気になってし方なく、気づけば傷口をなめている。

おパンツカットは、そもそもそのおでき隠しの意味もあり、ちょうどパンツが始まる部分にあるおできの傷をなめるものだから、ふわふわのパンツ上部の毛がよれよれになっている。そんなことよりも血が出ていて、とても私の手でおできの中身(老廃物)を抽出して消毒し化膿止めを塗る処置はできないと思い(グッズはすべてあるのだが)、ペットクリニックに連れていった。

何年もかかって育ってしまった腰のおできは、3つの嚢胞が集まって巨大なおできになり直径3㎝くらいになり、その1番大きい嚢胞から老廃物を抽出したことがある。しかし残った2つは、今では老廃物が固まってしまい絞ったくらいで出なかった。かなりぎゅっとやって3~5ミリくらいの塊を先生が2つ取り出して処置は終わった。

 

この表皮嚢胞。できやすい体質の子は、体にいくつもでき、久喜も2歳くらいの時から小さいのが1つできていたと思う。処置して消えた部分も含めれば、10個近くできているのではないか。それが破裂して血が出たのも今回で2回目だ。以前は別の場所、前足の付け根で、リードのベストが擦れて切れたようだった。

根治は、嚢胞そのものを摘出すること。久喜みたいに大きくなったものは、レーザーで切って取り出し縫合するらしい。全身麻酔までいかないにしても、お金もワンコも負担は大きいと思う。なんとかこれまで上手くいった、老廃物抽出を繰り返すことで、おできが消滅してくれないかと思う。

ちなみに、爆発したり切れたりして血が出ない限りは、そんなに痛いものではないらしい。本人も全く気にしていない。

ともあれ、消毒も兼ね明日もペットクリニックに行く。ヨード液が嚢胞にうまく作用すれば老廃物は再びたまらなくなるかもしれない、と言った先生の言葉に頼りたい。

コロナ禍、家族の誰も風邪などで病院に通うことはなかったけれど、久喜だけはほぼ毎月クリニックに行っている。皮膚が弱いから仕方ない。(そう言えば、胃腸も弱かったな。)

10歳の誕生日を境に、またクリニック通いという、久喜の災難はしばらく続きそうだ。

※一応、書き留めておくが、誕生日に久喜にはスペシャル”高級”ウェットフードをあげた。そして、我らも栗の入ったお赤飯とすき焼きでお祝いした。(久喜にお赤飯のごはんの部分を少しだけあげたしね)

 

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