コラムニストの堀井憲一郎氏の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されることが決定したニュースに関して、゛日本人がしがちな誤解を解いておこう゛というタイトルの記事に感じ入ったので記録しておく。
あくまでもユネスコから認められたのは、長崎にある大浦天主堂を始めとする教会群がメインではなく、その200年にも及ぶ禁教期に、棄教することなく独自に信仰を続けた、その精神・文化が特異であり、文化、世界遺産として認められたと説得力を持って書かれている。
そもそも隠れての信仰なのだから、あのような立派な教会が江戸時代にあったわけがない。納得。
その精神とその時代の過酷な彼らの状況を知るには、マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙」を元に映画化した「沈黙―サイレンス―」を観ることをお勧めします。以前、感想を書いたことがあり、一端がわかると思うので興味のある方はどうぞ。
以上、書いておきながらですが。
紆余曲折した上認められた世界遺産。長崎や熊本のこれに尽力した人々の喜びはいかばかりだろう。江戸時代の異国情緒を感じる観光施設の中で、ひっそりと静かに佇む小さな古い教会の敬虔さは、長崎地方への観光客を増やすに違いないと思う。
そして堀井氏が指摘するよう、教会の建物と潜伏キリシタンが関係ないことを知り、そして、”信仰とは”に少し思いを馳せる意味でも、関連資料として、遠藤の「沈黙」(書籍)と映画「沈黙―サイレンス―」(DVD)を、どこかで紹介してはどうかと思う。そんな思いをしたためてみた。