はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

イチロー - 2

MLB日本開幕戦でのイチローへの観客の期待があまりにも凄くて、見るのが辛くなった。そんな映画みたいにうまいこと打てませんよー。

快音を聞かないまま交代するイチローに万雷の拍手。その場にいたら本人でなくても泣けるだろう。

なんだろう。。彼の修験者のように野球に向かい続ける姿勢、どんな大舞台でも平常心て臨む姿、妥協を許さない日々の有りよう。そんなに詳しく知らなくても、あの佇まいや折に触れ聞くインタビューなどから想像できる人物像に、決して自分は届かないものをみて、畏怖と尊敬の念と、彼がプロ野球人生に終止符を打つことへの感慨とで心が震えるのだろうか。

前後して、羽生結弦の世界選手権の演技を観たが、彼にもイチローと似たものを感じる。羽生も常に自分と闘っている。より高みをひたすら目指し続ける者だけが享受できる栄光と称賛、そして背負う重圧。あのどや顔もそれまでの道程を慮ると感動と畏れすら感じる。

 

少し話がずれるが、山崎勉の著書「俳優のノート」を時々読んでいる。(時々読むというもの変な読み方だけど・・)リア王を演じる彼の、リア王に成ってく過程が日記として書かれたものだ。数々のメモするべき珠玉の言葉が期せずして散りばめられた、俳優のための本だと思うのだが、最近読んだクダリでこういうのがある。

「我々日常人は、つまり観客は、リアの過ちに、同じような過ちを犯す自分の日常を重ねて共感し、同時に我々の日常にはないその過剰にカタルシスを感じるのだ。その共感とカタルシスを求めて劇場に集まるのだ。」(146Pより抜粋)なるほど。演劇のほか映画やドラマでもそうかもしれない。なぜそれが観たいのか腑に落ちる。

同様に、イチロー羽生結弦が活躍するスポーツの世界も、常人ではなし得ない世界(やりたくても、なりたくても叶わない、それを成しえる持って生まれた才能と、それを無駄なく生かせる精神、環境、あるいは逆境を跳ね返す力、etc・・・)を魅せてくれることに、我々は歓喜し、興奮するのだ。もちろん魅せモノとして面白い場合もあるのだろうが。

 

イチローのインタビューの中で、「これまで引退を考えたことがあるか?」という質問で「クビになるかもしれないと思ったことはあった」と答えていたことに驚いた。イチローほどの人でも、そうなんだ。冷静に考えればプロの世界では当たり前だろうけど。そして今回は、本当にマリナーズとの契約延長はなかったのだ。彼は希望していたそうだけど。

すごい人、すごい選手だと思った。そしてそういう終わり方っていうところが人間臭くていい。変に潔いばかりでないというか。イチローのこれからにも、きっと野球がある。本人が貫く「野球を愛し続けること」に終わりはないだろうから。