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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「銀二貫」- 5 (始末について)

大阪商人の心得は「始末」「才覚」「神信心」。

井川屋の番頭(塩見三省)が丁稚に教え込む、今でいうところの経営理念だろうか。特にこの「始末」という言葉が、”ケチ”とは違うと幾度となく語られる。

「始末」という言葉をWeblioの三省堂大辞林で見てみると

 (物事の)しめくくり付けること。片付けること。処理。
 無駄遣いしないこと。倹約すること。
 結果主として悪い状態についていう。 
 物事始めから終わりまでの事情事の次第。 
 
とあり、「銀二貫」では、②に努めながら①を果たすことが美学とされている気がした。
ドラマを見ているうちに。すっかりこの言葉の虜になっていたところへ、最近読んだ樹木希林の「一切なりゆき」という本でも、彼女が始末という言葉を使っていてーまさに上記の②①の通りにモノや物事に対処していた様子がうかがえたー
絶妙なタイミングで私の周りに”始末”という言葉があふれた。
 
そのものが必要に応じて作られ、役目を果たして終われるように使い切る、始まった事柄を納得がいくように終了させる。気持ちのいい、さっぱりとしたやり方だと思う。
主人公の松吉(林遣都)が長年思い続けた真帆(松岡茉優)と夫婦になると報告した際、すぐにでも祝言をと奨めた和助(津川雅彦)に対して、自分がこの寒天問屋に入るきっかけとなった仇討ち料、銀二貫を、もともとの使い道である天神さんに寄進してから、と凛々しく宣言した時にも「銀二貫の始末をしとうおます」と言った。20年近くに及ぶ長いことかっかった末の”始末”だ。この間、寒天問屋は二度にわたり銀二貫で人助けをする。しかし、彼らにすればそれは人助けだけにあらず。今でいうとことの”投資”だったのだ。
 
新しい寒天料理を試行錯誤するなか、松吉は真帆に「みんな寒天が繋いでくれているような気がする」と言ったが、いやいや、実はこの話、銀二貫が繋ぎ、紡いだ"ええ話"だったのだと思った。