去年放送のシーズン2を復習視聴し、待望の新作を見た。
相楽樹さんが演じた陶芸見習いの釉子役を吉岡里帆さんが演じる。
今回も庭師見習いの若林ケント幸太郎役の林遣都の語りで始まった本作。冒頭、モノクロの江波杏子さんの写真と共に「昭和と平成を駆け抜けたあの人に捧ぐ」の遣都のモノローグにガツンとやられた。江波さんが女優人生の終盤に演じた、本物を創る京野菜農家の師匠の生き方と、江波杏子という女優の凛とした佇まいがシンクロし、思わず襟を正してテレビ画面に向かって座り直す。
いつものピアノによるメインフレーズに、今回は管弦楽(バイオリン?チェロ?)バージョンが大切な人を送るシーンで流れ、心に染みた。
彼女が演じたタエの葬儀から始まった今回、タエの弟子として孫同然に一緒に暮らしてきた鋭二(毎熊克哉 )の過去と、彼に興味を持った葉菜(趣里:パン職人見習い)の恋模様を祇園祭の裏方の仕事のドキュメントに添える。
京都の若者にとって、祇園祭の宵山はクリスマスイブと同じだそうだ。宵山を誰と一緒に過ごすか、一月前から聞こえるお囃子の練習の音が鳴り出すとソワソワ、ザワザワするらしい。恋愛ストーリーは、陶芸見習い釉子の先輩陶芸家への思慕で始まり、叶わぬ恋で終わった。
この京都人シリーズは、四季折々を楽しむ京都の人らの暮らしや伝統をレポートするドキュメントと、職人志望で修業中の5人の若者たちの群像劇とで綴られている。故に途中で京料理のコーナーがあったり、本物の職人さんへのインタビューがあったりと、群像劇のストーリーに没入できない構成になっている。登場人物の背景もポツリポツリとぼうっと描かれ、彼らの心理描写も台詞も少ない。それだけに、立ち姿や背中や表情で語る部分も多く、役者への要求レベルは高いと思う。そして老若共にそれに応えられる役者を布陣している。ディテールをつまびらかにしないからこそ、こちらは想像力を掻き立てられる。また想像力を駆使しなくてもオブラードで包まれた、なんや柔らかいような、芯のあるような、そんな居心地がいいんだか、悪いのだかわからない、京都での彼らの日常?こだわり?あきらめ?思い?ストーリー、の広がりと奥深さを感じられる。
それにしても、イギリス人の父親を持つ幸太郎(林遣都)のバックグラウンドはいったいいつ描かれるのだろう?まさか、まさか私の失態で録り逃したシーズン2の「送る夏」に描かれた?幸太郎がちょっとでも群像劇の主役になるときがあるのだろうか。今のところ語り手に徹しているような気がするのだが・・・。
本作の最後は「ボクらの青の時代はいつまで続くんやろう」という遣都のモノローグで締まった。京都への愛とリスペクトが半端ない本シリーズ、たとえ出演俳優が変わっても、彼ら5人の修行の旅は京都のうつろいと共に続いてほしい。