生まれながらにして何らかの高度な知的能力を持った人を”ギフテッド”と呼ぶらしい。
いわゆる天才だ。アインシュタイン、ビル・ゲイツ、ザッカーバーグなど、高い知能指数を持ち、素晴らしい発想と知力で常人がなし得ないことを生みだす人たち。
この日本にも250万人ものギフテッドがいるそうだ。
天才なのだから、努力しなくても難しい理論や計算を理解できるし、覚えることもなんの苦労もなかったりするのだろう。うらやましい限りだと思うが、実はそんな彼らも、特に児童、学生の時期、生きづらく感じることが多いという。そんな知られざる彼らの孤独や悩みにスポットを当てたドキュメンタリーだった。
普通の親から突然変異のように天才が生まれてくるものだから、我が子なのにその思考回路、能力を親さえも理解できないことがあるらしい。ましては小学校では、早く問題を解いて次をもらいに行くと、皆に合わせろと先生に言われる。早く走れる子は一等を取って賞賛されるのに、勉強は横並びでないといけないの?ギフテットにとっては、学校の授業では物足りないだろう。
さらにギフテッドの傾向にありがちな、人付き合いが苦手だったり自分の世界に集中する傾向は、発達障害の特徴に似ているところもあり、学校という集団からスピンオフしてしまいがちとのこと。
アメリカではギフテッドに対応した、コミュニケーション教育や、彼らの才能をさらに伸ばすための教育支援システムが整っているらしいが、日本はそのあたりが遅れていることも課題として指摘された。
もちろん、そういうシステムが整っているアメリカにいるギフテッドが、まるでハッピーに過ごしているわけではなく、やはり飛びぬけて人と違う点では孤独を感じるているし、人間関係を構築するスキルを身につけなければ、社会的生活を円滑にできないということで苦労はあるようだ。
番組を見ていて、”ダイバーシティ”という言葉を思い出した。
イングルージョンという言葉とくっついて、障害者や弱者(マイノリティ)と共に創る社会、みたいな感じで言われているけれど、弱者ではなくても、天才的能力を持つ彼らも、またマイノリティだ。多くの皆と違うことではじくのではなく、彼らの特異性を認め、伸ばし将来その才能を社会が享受できるようになるよう、才能を伸ばせてあげられたらいいなと思った。
それにしても、インタビューに答える小学生や、大学生のギフテッドの大人びた物言い、あるいは達観した考え方には驚いた。