冒頭のドラム演奏シーンで、自分に”才能”というものがなくて本当に良かった、早くもそう思ってしまった。
天才はもって生まれた才能にプラス、それをさらに開花させる集中力と無限の努力ができる人のこと。そして天才にしても、その過程は決して楽なものではないと。
名門音楽学院に通うドラマーのニーマン(マイルズ・テラー)は、伝説の鬼教師のフレッチャー(J.K.シモンズ)に見いだされ、彼の率いるバンドに加わることとなる。
スカウトが来るような数々のコンクールで好成績を収めている彼のバンドで経験を積むことは、音楽家としての将来を約束されたかに見えるが、指揮官のフレッチャーの望む音、テンポに応えなければならない地獄の日々の始まりとなる。
フレッチャーは英語の中で人をダメにする2つの単語は、”Good job”だと言い放った。そのくらい徹底的に人を貶し、罵詈雑言を浴びせメンタルを追い込んでいく。そこから這い上がった者だけが、天才としての仕事をなし得ると。
フィクションとは言え、アメリカの教育現場でこのようなパワハラ、血が飛び散るまで練習することを要求する(もはや)体罰が描かれるのかと全編眉をひそめて2人の関係性、物語の成り行きを見守ることになった。
本作のレビューで誰もが触れるラストの演奏のすばらしさについて。
フレッチャーに再びステージでこき落され、ステージを一旦去りかけたニーマンだが、2度目はそのまま引き下がらなかった。なぜなら、フレッチャーの自分への度を越した仕打ちが、実は彼の"天才"を引き出そうとするフレッチャーなりの(もはや病的な)やり方だとはたと思い当たったのだろうから。たとえそれが思い違いだとしても、彼にはリベンジする必要があった。
演奏の最後、目が合う。2人が初めて"得たり!”とニヤリとした笑顔を交わす。常軌を逸したやり方でも才能を開花させようとするオニ=フレッチャーと、病んでまでもその虜になっていく才能=ニーマンのセッション。それは罵詈雑言の練習の日々からずっとこのステージの瞬間まで続いていたのだ。
物凄いテンポの演奏の中で、二人が交わした視線は鳥肌もの。観ているこちらが、オニのフレッチャーに”ざまあみろ”と心の中で叫んでいた。
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