男は余命わずかと知り、その事を告げに12年ぶりに家族に会いに帰る。映画は、お昼前に主人公が実家に着き、夕方までのわすが半日の物語だ。
登場人物は、男とその兄、妹。そして母親。兄の嫁。その5人が久しぶりに会う弟を迎えながらも、ありがちな家族ならではの遠慮ない口喧嘩(その内容の多くが他愛無い)で弟の話をことごとく遮る。観る者は、なぜこの家族がこんなに仲が悪いのか、彼らのお互いへの不満(主に兄に対して妹の文句が多いのだが)はどこからくるのか、無意味な会話から必死で探ることになる。
どうやら、弟は家を出てから劇作家として成功している、それにも関わらず家には金銭的援助等いっさいしてこず、毎年家族それぞれの誕生日に短いメッセージを書いた絵葉書を送るだけだったようだ。そして彼が家を出ていったのは、彼がゲイであり、そのことを当時の家族が理解しなかったのも原因らしい。
工場に勤めながら母親と妹を養ってきた兄の、才能、そしてそれゆえに経済的にも余裕があるであろう弟への不満と嫉妬。それがいつどういう形で爆発するのか、5人の登場人物による会話劇の中、観ている方はハラハラする。そして死期が近いことを告げにきた弟は、ちゃんとそれを家族に伝えられるのか、母親と二人きりになった時でさえ言いそびれてしまって・・とこちらもヤキモキしてしまうのだった。
どんな言葉を言いかけても、彼の家族は、彼らの元を去って成功した才能ある弟の言葉に耳を貸そうとしない。12年ぶりに対峙する彼の前のに立つ自分の面倒をみるのに精いっぱいなのだ。
家族だからといって理解しあえるわけではない。お互いを理解しようと、場合によっては相当努力しなければ理解できないかもしれない。相当努力しても理解できない場合もあるだろう。ただ、理解しなくても愛することはできるのが母親だった。
こんな状態の家族が、弟の告白でどうにか変わるのだろうか、と期待して観続けた者を見事に裏切るラストの大げんかと収束。
弟は何度か口にした。「(夕方には)帰らなきゃ。」
家族がいる家に帰ってはみたが、そこに彼の居場所は全くなかった。家族から理解されない、理解されようともされない。こんな孤独があるだろうか。死期が近いというのに、母親にさえもそれを告げることができず、情や憐憫、うまくいけば励まし?を得ることもなく実家を後にする男。そこに救いはあるのか?と思ったけれど、そう、彼には帰らなきゃならない彼の居場所があるのだ。そう言って実家を出ていったのだから。
唯一、そこかな。彼には帰る場所があったー。
とにかく、俳優のアップがずっと続く。フランス・カナダの合作映画だが、フランス映画をほとんど知らない私でも、観たことある俳優(ヴァンサン・カッセル=兄、マリオン・コティヤール=兄の嫁)が出演していて、彼らを始め俳優さんたちの演技が緊迫感に溢れ素晴らしかった。