※これはいわゆるリモートドラマというくくりではなく、リモートによる打合せと、密を避けての安心安全な撮影を徹底した、いわばソーシャルディスタンスドラマである。
と、フジテレビの作品公式サイトに書かれてある。しかし、それを知らなければ、林遣都の一人芝居、一人が3役やっている普通のドラマと思う。それほど映像の合成技術は進んでいるし、芝居に違和感がない。
作品全体のテーマは、冒頭で引用した通りで、このコロナ禍、緊急事態宣言解除を受けてWithコロナの新しい生活様式、新しい制作現場を模索しながら3蜜を避けてドラマ制作する、ということだったと思う。
しかし、普通のドラマとして物語のテーマを考察すると、”思い出す”という言葉がキーワードだったのではないか、と思った。
緊急事態宣言前に仕事を辞めたいとクサッていた次男、勇人、それを心配して緊急事態宣言から3か月後に、勇人を訪ねてきた兄、泰斗、3男の三雄。(なんで三つ子なのにこんなに名前の付け方がバラバラなん??)
兄は、亡くなった母親がよく作ってくれた実家近くの製麺所の”バターラーメン”を持ってきて、2人でそこの若社長がどうのこうのと話しだす。久しぶりに兄弟や親せきが集まった時、近所の人のあれからを語る会話にリアリティがある。兄は母親の作るラーメンの味を再現するため、チョイ足しがなんだったか考えるが思いつかない。そのうち、3男もやってきて、ラーメンを前に3兄弟のお決まりの一発ギャク、しかもギャクを最後までやり切るのは末っ子だけで、上2人はそれを見て「かわいい」と半ばあきれて半ば愛おしそうにつぶやく。ああ、こうして3人仲良く育ったんだなーと、過去の彼らの微笑ましい様子が想像できるシーン。
ラーメンを3人ですすりながら、勇人はコロナ前までポンコツ社員だったのに、リモートワークになってリモート会議や研修を仕切るようになり、空気を読まなくていいノリと掴みで実力を発揮できたことを喜ぶ。ここだけの話、Withコロナの新しい生活様式万歳!と告白。茨城で農家をやっている三雄も、有機野菜のネット販売がコロナ禍で繁盛していると報告する。
泰斗だけ、コロナ禍を過ごした多くの人々の代弁者として、不安と戸惑いの3か月の胸の内を話す。
緊急事態宣言直後の、誰もいない渋谷の映像を見て、大変なことが起こったと感じた。この事態に家に籠るしかない人々。家中掃除して、毎食料理を作って、医療従事者に感謝し、寄付もし、、、これからどうなるんだろう、と考えても答えのでない疑問を繰り返し・・。そして最後に製麺屋の若社長が、給食用に学校やレストランに卸していた麺が売れなくなり、資金繰りが悪化して会社をたたむことになったと言う。
緊急事態宣言が解除されたとたん、渋谷には人が出てきて、少しずつ日常を取り戻しつつある。この3か月はなんだったのかと思いながら、あの時感じた異様な社会と個人の不安をみんな忘れていくんだろうな、と続ける泰斗。3人しんみりとなって、(ここの3人しんみりの顔が!同じ話で同じ様な気持ちになっているはずの同じ顔の林遣都が、全く3者3様の”しんみりの顔”であることに驚愕!)少しの間の後、お調子者でムードメーカーの勇人が,ぼそっと「東京タワー」とつぶやく。
そこから(いつもの?)”3”に関する兄弟の掛け合いが始まり、最後にはバターラーメンの母親のチョイ足しが何だったかを思い出す―。
なんとまあ、秀逸な脚本かつ演出と言うしかない。時代、今の空気を余すことなく台詞と空間に凝縮している。そして計算されているのか、感覚的にぴたりと合わせられているのか、林遣都の一人芝居が本当にすばらしいのだ。
泰斗の問いかけの一つ、みんな忘れていくのかな?については勇人が「思い出すんじゃない?」と答えた。実際3人は、かわいがってくれた若社長のこと、母親のこと、母親の味を思いだしたではないか。
コロナに罹って命を落とした人。コロナ禍の中で亡くなった大切な人をお葬式も出せず見送らざるをえなかった人。大切な人や大切なことは、今後新しい生活様式に追われて前を見ることしか余裕がなくなった人でも、きっと思い出すし、忘れないはずだ。
この3か月間で人生が好転した勇人と三雄のことを描きながら、その一方で、志村けんさんや豪華客船の人々、医療現場、医療従事者の人々などへの様々な"思い"が詰まったドラマだったように気がした。
そうそう、”3”は、やはり”3蜜”からきてるのかなあ。
今の今だからこそ生まれた素晴らしいドラマを最初に観た直後、ざわざわとした興奮が続いていたのだが、もう一度録画を観て、そこに不変のテーマを見つけた!
フジテレビと中江さん、水橋さん、そして林遣都さんに改めて感謝と賞賛を贈りたい。