兵士が、戦地で”ひょんと”死ぬ。命を落とす。
この光景をもちろん見たことなどないけれど、頭に漫画の映像としていつまでも残っている。 漫画家の西原理恵子の作品で、元夫の鴨志田穣が戦場カメラマンだった頃の体験に触れた部分だったと思う。戦場カメラマンとして前線で取材していた時、ふと振り返ったら近くにいたはずの兵士が、”タン”という銃声と共に”ひゅん”と倒れた。その光景がわかるイラストと記述があったような気がする。随分前に読んだので、今となっては作品タイトルさえわからないのだけれど。
その事実は、その場にいた鴨志田の何万分の一だとしても、その事実を西原の漫画で知った私には十分衝撃的だった。戦争をしていると、人は、静かな草原でふと立ち上がっただけで、狙われ、撃たれ、命を一瞬で落とすのだ。
そして、私の頭の中でその映像が頭にしっかりと刻み込まれることとなったのが、竹内浩三の詩だった。「骨のうたう」は前回のブログで紹介した彼の詩だ。
「兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国でひょんと死ぬるや」
というくだりがある。この詩にある”ひょんと死ぬ”という言葉と、西原恵理子のイラストとが、私の頭の中で完全に合成され、消えない記憶として刻まれた。
少し外れるが、毎年8月15日の終戦記念日が近づくと、NHKあたりでは戦争をテーマにしたドラマやドキュメンタリーが放送される。以前は、お国のために勇ましく散った兵士の理不尽や家族の悲しみをテーマに戦争の悲惨が語られることが多かったが、今年、私が見た数少ない戦争に関するテレビ番組では、兵隊に行かなかった人の視点や、離島で見捨てられて餓死してしまった兵隊たちの話など、これまであまり聞かなかったことが語られていたような気がする。
さて、話は、普通の人が戦場に駆り出された時、ああ、きっとこう思う人もきっといたんだろうな、と思えた竹内浩三の詩を紹介したい。というか、正直、自分もきっとこう思うと、かなり同意した内容だ。
五月女さんが、竹内浩三の詩に楽曲をつけて歌うコンサートでは、浩三の詩の朗読が歌の合間に入るのだが、この詩もよく紹介される。
ぼくもいくさに征くのだけれど
竹内浩三
街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている
ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな
だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど
なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら
そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた
青空文庫作成ファイル より転載。
画像は次回の五月女さんのコンサートのチラシです。詳細は、次回に。