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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「麒麟がくる」- 10:舞は踊らずとも染谷・信長が魅せた

最終回の「本能寺の変」オンタイムで視聴。
主人公として紛うことなくカッコいい明智光秀の清廉潔白な様、それを演じる長谷川博己の役者力が堪能でき、重厚で見応えのある”戦国もの”大河ドラマだった。

 

本回に至るまで、じわじわと明智光秀(長谷川博己)が主君=織田信長(染谷将太)を討つ伏線が敷かれてきた。女子供も皆殺しにしたり寺社仏閣を焼き払ったりする非道のエピソードだけではなく、この時代の主要人物の信長への不信感・密かな翻意なども描かれた。帝(坂東玉三郎)や足利義昭(滝藤賢一)、細川藤孝(眞島秀和)・・。皆、信長の暴走を懸念しつつも己の手ではどうにもできず、信長の重臣であり、一番の知恵者である光秀を暗に嗾けているところがずるい。その日和見具合が前述した光秀の潔癖な様子と真逆で面白い。

光秀は、信長が登る大木を自分が切り倒すという悪夢を見るようになり、主君討伐への念に突き動かされていく。そして極めつけは信長が光秀に下した「将軍を殺せ」という命だった。

 

「本能寺の変」のもう一人の主役と言えば、やはり襲われる側の織田信長だろう。正直、この最終回の染谷将太演じる信長は本作中では最高だったと言わざるを得ない。
光秀と共に”大きな国をつくる”という理念のもと闘ってきた信長。幼い時から両親の愛に飢え、自分を誰かに認めてほしいという(子どもじみた、故に純粋)思いが人一倍強い。戦に勝つ度に彼を諫める者はいなくなり、孤独は増し、狂気も増す。その悲しがみなぎる目。本能寺で襲撃する相手が光秀と聞いた時の「十兵衛か、是非もなし」の表情。”喜び”ともとれる、アドレナリンが全身に一気に回ったような表情が素晴らしい!
なんて魅力的な信長だろう!と改めて思った。
ドラマが始まった当初、小柄な染谷が信長で大柄な佐々木蔵之介が秀吉を演じるキャスティングに疑問符をつけた人もいたようだが、結果大正解。終盤の信長の純粋な狂気、秀吉の老獪さを表現するには絶妙な配役だったと思う。

 

ラストは光秀は生きているという噂が流れ、光秀が馬を駆る姿が映し出されて終わり。視聴者騒然・・・!”麒麟”は誰が連れてくるのか?安寧な世を徳川家康に託した光秀がそうだったのか、後に江戸幕府を開いた家康か?はたまた光秀自身か。というところだが、あとで議論になり余韻を楽しむことができるのも◎

最後に、本能寺の変を聞いた秀吉のそばにいた黒田官兵衛、この最終回のみ一瞬登場、台詞もほぼない濱田岳の存在感が素晴らしかった。あざを顔に負った官兵衛の落ち着いた陰鬱な存在が、本作ではまるで太鼓持ちのように描かれながら、狡猾な人物に見えた秀吉が実は(当たり前だけれど)ちゃんと幾千もの修羅場をくぐってその位置にいるということを物語ってくれたような気がした。濱田グッジョブ👍 流石だ。

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