鑑賞後、本作のモチーフとなった萩原慎一郎の歌集「滑走路」を読んだ。
本作を観て、より多くの人が32歳で夭折した萩原慎一郎という歌人を知り、彼の作品に触れることを心より祈っている。
歌集には、非正規雇用で働いていた歌人の悔しさや不安を詠んだ歌、恋の歌、理想とする自分とは違う自分への焦り、そして短歌への信頼と自信を詠ったものなど様々な歌が収められていた。
映画は、歌集に表現された一人の歌人の多面性を、登場人物それぞれに分け関係性を絡ませながら、それぞれの成長を描いていたが、個人的にはフィクションでいいので、一人の歌人の誕生物語として観たかった。
17歳で短歌に目覚めたその背景、詠うことで生きた、繊細で優しい青年の苦悩と希望。そして才能とその開花の道程。
でも、難しいのだろうな、きっと。あまりに理不尽な歌人の生の終わりに、周囲の人は彼の人生を振り返り、彼の歩んだ厳しい過去を紐解こうなんてできなかったと思う。たとえフィクションで描こうとしても。
それにしても、本作の複数あるストーリー(最後はひとつにつながるのだけれど)の一つである「いじめ」について、改めて考えさせられた。
そもそも、どうしていじめる側はそこまで人を辱めることができるのだろうかと思う。自分が同じことをされたらどう感じるか。想像力が欠如しているとしか思えない。
そんなことを考えているところへ、北海道旭川で女の子が2年前のイジメを苦にして亡くなったという実名入りの報道を聞いた。ここでも過去に受けたいじめがトラウマになるという事実。
いじめが原因で若い命を失ったというニュースが絶えない。どうやったら、陰湿で長期間にわたる犯罪行為をなくすことができるのだろうか。
最後に「歌集 滑走路」には、詮無い状況にもがきながらも、希望を求める強い意志と柔らかい明るさを感じられる歌が多いと思った。
そして映画でも、どんなに長くて暗いトンネルの中にいるような状況でも、一筋の光はあるのだといっているような気がした。
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