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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

年賀状を書く

私と同年代の知り合いは、会社を退職した後、年賀状を卒業する旨を伝えて、年賀状作成から足を洗ったそうだ。

老齢を理由に来年よりご挨拶を遠慮します、と告げた親戚のおじさんの年賀状もある。

毎年、50枚くらいにならんかな、と思いつつそれを超えてしまう。それでも2年くらい前から70枚を切り、今年はついに60枚を切った。

 

大竹しのぶは日本郵便のCMで「大切な人に」というが、自分を振り返ると、出している相手皆さま全員が私にとって”特別な大切な人”と言えるだろうか?と疑念がわく。
というのも十年単位で会ってもいなければ、LINEやメールのやりとりがあるわけでもない、大学時代のかなり上の先輩や、新入社員の時2年くらいお世話になった先輩、最初の異動先のモールで1,2年一緒だったアルバイトの男の子(今は立派なお父さん)などなど、私が年賀状をやり取りしている相手は、先方も律儀に年賀状を出し続ける人というだけだ。

確かにその人々にはお世話になった。苦楽を共にした。若気の至りで迷惑もかけた人々だ。届いた年賀状を見て、結婚しているのか、どこに住んでいるのか、お子さんたちはもう中学生か・・・とそんなことをぼんやり認識しているだけの彼らの当時の顔を思い浮かべながら、若かりし日の自分を思い出す。

そう!
私にとっての年賀状を書くとは「大切な人に」というよりは「大切な、その人と一緒だった時の”過去の自分”」へ思いを馳せる行為であることに気がついた。

過去、しかもかなり大昔の、もはや思い出してもなんの参考にもなりそうにない過去を振り返ることに意味があるのだろうかとも思うけれど、まあ、その時間も人生の1ページと言えなくもない。

ということで、今年は、イラストの下に手書きで「お元気ですか?」だけでなく、もう少し自分の近況をつづることにした。それすなわち、今年の自分の1年をおさらいして1,2文にまとめるってことなのだ。

なんとしても、明日までには投函しよう。

 

※日本郵便の大竹しのぶと芦田愛菜のCMをネットで見ても「大切な人」という言葉が出てこないのだけれど、TVで確かにそう聞いたのよね。この言葉がないとこのブログが始まらないので、もし聞き間違いだったとしたらご容赦いただき、放念してください。