MRIの検査を受けたのだが、白いドームに入っていった時、突然「補陀落渡海」という言葉が浮かんだ。
かなり前に読んだ「補陀落渡海記」という小説で知った言葉で、僧侶の捨身行の一つ。小さな船に乗って海に流され、そのまま浄土に行くという。
井上靖の小説では、補陀落渡海を決意した僧侶が、船出の直前で未練が出て、行を止めたいと思ったが周囲に許されなかった、という話だったような気がした。うろ覚えも甚だしいので、記憶がすり替わっているかもしれないが、小さな船の中で逃げられないように蓋をされたような気がする。(その時点で棺に入っていると同じだよね)
MRI検査をしている状況が、まるでそれと同じように思えた。
動かないように胴体を固定され、磁気を通す(?あるいは磁気が通っても安全なのように?)結構重いマットみたいなものを体にかけられ、手は胸の前で触れ合わないように置き、片手には耐えられなくなった時に知らせるブザーを握らされた。
体がほとんど固定されて動かない状況が、小さな船(小さな点では同じ)に乗せられ、動けない状況で死への旅路から逃げられなくなった僧侶と同じ状況に思えたのだ。
もちろん、死への旅路ではないけれど「やる」と言ってお願いして、直前にやりたくないと思っても、もうやめられない状況であることが同じ。
MRI検査を受けた人ならわかるだろうが、「カーン、カーン」とか「ゴンゴン」とか、とにかく宇宙船にでものっているような大きい音が響く。ヘッドフォンからはヒーリングミュージックも流れているのだが「カーン、カーン」の音量には到底かなわない。
「呼吸がゆっくりになるから寝ないでね」と言われたが、こんな大きな音がする中眠れるわけないと思いきや、閉塞感と体が動かせない不安から逃れようとするのか、つい意識が遠くなる瞬間がある。すると「呼吸がとまっています」とアナウンスが入って起こされる。
こちらは不安以外にも、まっすぐ板に寝かされたことで(持病の)腰痛が起こり、それもなんだか苦しく意識を飛ばしたいと思ったしまうのだったが、2,3回「呼吸が止まっています」というアナウンス。止まってないよ、止まったら死んじゃうやん。補陀落渡海で浄土に行っちゃうよー。早く終わってくれないかなーと思ながら、20分~30分程度の”行”に耐え、やっと解放された。
実は、検査に行く前に家族とヒトモメして、怒った後沈んだ気持ちで病院に向かった私。あの言いようはないだろう、と相手を責める気持ちでいっぱいだったけれど、後からよくよく考えれば、私の(良かれと思ってした)行為も、相手の状況を考えてあげてなかったことに気づいた。
MRI検査(=私の中で勝手に”補陀落渡海”)をやって、その時は自分が修行して他(この場合私の家族)に少しでも光明があることを、なんて変な願い(?)が頭に浮かんだけれど、なんのことはない。”補陀落渡海”で、自らの過ち(というには大袈裟だけれど)に気づかされたことになった。やはりあれ(MRI)は、私にとってある意味補陀落渡海だったのだ。
― 変なブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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