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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「ノートルダムの鐘」劇団四季 横浜公演

一度は観てみたいと思っていた劇団四季。映画もテレビドラマも観劇も、基本お目当ての俳優ありきで観るので、なかなか劇団四季までリーチしていなかったのだが、この度チャンスを得て雨の中出かけた。

大聖堂の巨大な鐘のある大がかりな舞台装置。舞台幅よりも奥行きと客席3階まである高さを十分に活かした舞台に、まず圧倒される。

そして、演者達の歌声!どの俳優も今まで聴いてきた歌声のレベルを遥かに上回り圧倒的に上手い!すげー!!これが劇団四季かあ、と本当に魅了された。

 

お話は、ディズニー作品を元にしているものだったが、こんなに悲劇的な最後なの?と驚く。

ノートルダムの聖職者フロローは、奔放な弟が亡くなる前に託した不具な赤子を預かり、鐘つき男として人目を避けて育てる。カジモドは、大人になるまでフロロー以外で話すのは石像だけ。しかし、孤独な青年は祭のある日に聖堂を抜け出し、エスメラルダというジプシーの女と出会う。

醜い姿のカジモドを嘲笑う町の人々に対し、エスメラルダはカジモドに分け隔てなく誠実に接する。

初めて自分に優しい言葉をくれたエスメラルダを慕うカジモドだが、同時にフロローも美しい彼女に惹かれ、自身の力を持って彼女を自分のモノにしようとする。そして女が意のままにならないとわかると、今度は憎しみの余り火刑にしようとする。

物語には2種類の愛の形が描かれていた。1つは、カジモドとエスメラルダの無償の愛。自己を犠牲にしても愛する人を守る愛。

もう1つは、フロローの支配する愛。自分がいなければ相手は存在できないと思わせ、絶対服従を求め、その代償に与える愛。それを愛というか?と思うかも知れないが、愛が持つ側面の1つだと思う。途中から、愛するものから拒絶し続けられるフロローが哀れにさえなった。

 

劇団四季のものがそうなのか、ミュージカルという舞台がそうなのか、感情が高ぶり、歌い上げる度に会場から拍手を贈る。まあ、贈る気持ちもわかるけど、なんかここは感動のシーンです、といちいち教えられているようで、拍手の度に感情移入していた集中が途切れてしまった。感動するシーンは観客それぞれ違っていいんだけれど…。

もちろん、郷に入れば郷に従え。各所て拍手しましたよ。

 

最後にカジモドを演じた俳優、寺元健一郎が本当に素晴らしかった。背むしになるための物を背負い、前屈みにびっこをひき、聞き取りにくい喋り方なのに、明瞭に台詞は伝わる!舞台俳優としての技術の高さに感服。

子どもじみた純粋さと、秘めた情熱と馬鹿力がバンバン伝わってくる。とても魅力的で、だからこそ悲しい。見た目が人と違うって、こんな悲劇を生むもの?そしてそれは15世紀のパリだからではなく、今も変わらずどこかで悲劇を生んでいるんだ、きっと。

ミュージカル『ノートルダムの鐘』作品紹介 | 劇団四季【公式サイト】