先日実家に帰省した時、桃農家の親戚から白桃が届いた。
今年は出来がいいとのことで、大きくて甘く美味しかった。
父は、初物としていただいた美味しい白桃がうれしかったようで「2箱ももらったから、兄貴のところに持って行こう」と言う。そして送ってくれた親戚に電話して、上機嫌でお礼を言っていた。珍しく父の元気で大きな声を聞いた。
それは良かったのだが、歳が離れている父の兄は山間で伯母と2人で暮らしている。
コロナで遠出することもなくなり、母の介護もあり、最近ほとんど車に乗っている様子がない父。車でないと行けない伯父のところに、本当に行く気なのだろうか、不安がよぎった。
車では危ないから、伯父の息子(私のいとこ)に連絡して、よかったら取りに来ないか聞いてみれば、と言ってみたが耳を貸さない。しつこく言うと、またへそを曲げるので黙って静観することにした。
翌日私は自分の家に帰る。日曜なので母のデイサービスは休みだから、家を空ける(伯父の所に行く)としたら私がいる午後2時くらいまでの間だ。そんなことをアドバイスしようか、一瞬考えたが、そもそも車に乗って行ってほしくないのだから、黙っていた。
翌朝、父は”桃を兄貴に届けよう”と思いついたことをすっかり忘れていた。
私が朝食後に桃をむいて出しても、兄貴に・・云々は全く口にしなかった。
昨日は「美味しかったねえ、兄貴にもっていってやろう」と嬉しそうに何度も言っていた父なのに、自分の思いついた楽しい計画も、きれいさっぱり忘れてしまうんだなーと思った。そう思ったら少し寂しい気持ちになった。
父の高揚した声を聞いたのが久しぶりだったし、嬉しそうに言っていたのは、桃のこともあるけれど、大好きな兄に会える、兄に喜んでもらえる、と思ったからだ思う。
「やろうとしたことが、できなくなる。」歳をとるとはそういうことなんだ、と改めて思う。
この出来事は、私に少なからず衝撃を与え、その後も何度も思い出した。そして、そのうちある考えに思い至った。
あの時「(老いて)やろうとしたことが、できなくなる」と思って寂しく感じたけれど「兄貴に美味しい桃を持っていこう」と父がそう思ったことが、実は幸せなことだったのではないかと。
・90歳を過ぎた父の兄が健在だということ。
・美味しい桃を、兄貴にも食べてもらいたい、と思う気持ちがあること。
・そう思いついた時に、とても明るく高揚していたこと。
その考えに至った時、今度は少しほっこりした。
頑固爺の父の笑顔を思い浮かべながら、たぶん私は、今後しばらくは白桃を食べるたびに、このことを思い出すだろうと思った。
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