ラストで繰り返された、主人公とユダヤ人との会話で、全てが腑に落ちる。
不条理どころか、因果応報ではないか。
ナチスドイツの占領下のパリ。ユダヤ人への圧力が増していく中、窮したユダヤ人から絵を買いたたき、いい暮らしをしている美術商のクライン(アラン・ドロン)。愛人のほかに、どうやら友人の妻とも懇ろだったようだ。
そんな彼と同姓同名のユダヤ人がいることがわかり、そのユダヤ人と間違われたクラインは、ユダヤ人としてホロコーストの恐怖に追い詰められていく。
ラストシーンで繰り返された会話は、物語の始まりのほうで、絵を売りに来たユダヤ人の客とクラインの会話。客が希望する額の半値でクラインが絵を買うシーンだ。ユダヤ人を食い物にしていた彼本人が、ユダヤ人の立場でホロコーストに送られるのだから、バチがあたったのだと言えばそれまでなのだ。
自業自得やん、というのが最初に観終わったときの感想。
公開された年、アラン・ドロンは41歳。今でいうところの“渋オジ”全開。透き通るようなブルーの瞳が時には少年のようにチャーミングに光り、また戸惑いと恐怖に揺らぐ時は何ともセクシーで、紛れもなく現代でも100%の色男。ついそれに騙されて、彼の抱く恐怖と好奇心とに寄り添って観進めてしまうのだけれど、よくよく考えると結構な女たらしで、頑固で自己中心的な男なのだ。
クラインはなんとしても自分がユダヤ人でないことを証明し、ユダヤ人クラインを見つけ出すべく奔走するのだが、もう一人のクラインは、まるで主人公の行動をどこかから見ているように、小出しにヒントを提示していく。(提示しているのではなく偶然なのだろうか?)そのヒントを決して見逃してはいけない。
正直、最初の鑑賞では油断していて、見落としっ放しで、あれ?なんでこの場所にクラインはいるんだっけ?となることしばしば。2回目の鑑賞で、ああ、あそこでこれが出てきて、という答え合わせみたいなことになった。結果2度楽しめたわけだけれど。
なるほど、確かに”傑作フレンチ・ミステリー”だわ。最後まで姿を見せない男。突然現れるその男の飼い犬。たくさん出てくる女の名前。なぜ、犬はクラインに懐く??犬が間違うほど彼らは似ているのか?
謎は謎のまま静かにパリのそこかしこに置かれたまま、クラインは(たぶん)ドイツ行の列車で運ばれていく・・・。
不条理と言うならば、クラインの身に降りかかったことではなく、ユダヤ人が受けたホロコーストのことだ。ユダヤ人という、ただ1点だけで殺されるのだから。そして、昨日まで隣人だった人を、手のひらを返して虐める、人間の不条理。
それにしても1940年代のパリ。美術商のクラインが愛人と住む家の飾り窓がとびきりおしゃれだ。そして、クラインの周りにいる女2人が超キュートでセクシーだ。一人は愛人として一緒に暮らす娼婦。もう一人は親友の妻。二人とも陶器のように白い肌。モードな洋服が本当に似合うし、鏡を見ずに、あそこまで完璧な角度と額へのかかり具合でベレー帽を被るセンス、技術?に、こちらは脱帽。そんなディテールを楽しめるのもフランス映画ならではかも。そういえば、「アメリ」や「ポネット」を観た時も同じような感想を抱いたことを思い出した。
観て損はなし。
原題は「Monsieur Klein」。なんでそれが「パリの灯は遠く」??
当時、配給会社は日本でのヒットを祈願しながら、邦題選びを楽しんだのだろうな。
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