人間にとって最も大事なことは「自由」であること。そしてそれを享受するためには、「自立」し「孤独」と共存できる強靭な精神を持ち合わせていること。
2008年のリーマンショックで、工場が閉鎖され、工場で成り立っていた町がまるごとなくなり(郵便番号が抹消された!)、車上生活者になったファーン。経済恐慌の中、高齢のファーンが定職に就くことは難しく、Amazonの季節労働や清掃などのアルバイトを求めて、アメリカの大地を移動する“ノマド”(定住しない遊牧民)となった。
ファーンは行く先々では同様なノマド高齢者たちと出会い、ノマドとしての知恵をつけ助け合いも経験する。
一緒に暮らそうと言ってくれる家族がいるノマド仲間もいるし、ファーンにも心配してくれる姉がいる。実際、病気をして気弱になったのか、迎えにきた息子夫婦に身を寄せた仲間もいた。一方で余命宣告を受けながらも、残りの人生を病院で過ごすよりノマド生活を選んだ強者もいた。
それぞれの事情、信条、心情はあるが、人生の晩年を人に頼って自分のやり方を曲げて安住するよりも、荒野を駆りながら一人、自分の足で立って生きている高齢者ノマドは、とても”弱者”には見えない。たとえリーマンショックの経済的被災者であっても。
日本には「老いては子に従え」という言い伝えがあるけれど、「自由」の国、アメリカに、その言葉はないのだろうなあ。
本作を観ていて思いだしたのが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画。この映画の主人公の青年も、経済的豊さよりも、人間とは、生きるとは、を追求して一人旅をしていた。
もう一つは、実家で暮らす高齢の父。ヘルパーさんや配食サービスを勧めるのだが、断固拒絶し、母を介護しながら2人で生活している。私たちから見て、その暮らしぶりは不自由に見えるけれど、父は自由に、誰の命令を受けず、自分のやり方で生きている。自分の足で立っているのだ。その父の「自由」を奪う権利は誰にもないと、本作を観て噛み締めた。
ノマド高齢者は経済恐慌が生んだものかもしれないけれど、(確かに社会のシステムに彼らを救済するセイフティネットがあっていい)、ノマド生活を選んだ彼らの精神は高邁だと思う。翻って自分に置き換えてみて、そこまで「自立」した強い精神を持ち合わせているかというと、全く自信がない。
ファーンを演じたフランシス・マクドーマンドが、期待をはるかに超えて素晴らしい。原作に心打たれ、プロデューサーに名を連ねている彼女は、もはや演技のレベルを超えている。撮影当時は63、64歳だろうか。(誰が彼女を高齢者と呼ぶ?)
役を超えてこの人が醸し出す、孤高、強さ、慈愛、そんなものに強烈に惹かれた。
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