ラストに極上のクリスマス・ストーリーが語られたけれど、当たり前だ。この映画製作のきっかけになった原作の物語だった。
ニューヨーク、ブルックリンでシガレット・ショップを営む男と、常連客の小説家。小説家が偶然出会った黒人の少年。年齢も人種も違う彼らだが、友情と呼べるか、どこか通じ合っていることに心が温まる。
シガレット・ショップの店主は、毎日同じ時間、同じ場所を写真に撮り続けることをライフワークにしており、写真は4,000枚以上にのぼる。小説家は、妻とお腹の子どもを銀行強盗の流れ弾で亡くして以来、小説を書けなくなっていた。ぼんやり歩いていて車に轢かれそうになった小説家を助けた黒人の少年は、居場所を転々としながら蒸発した父親を一人探していた。
冒頭に、ラストに極上のクリスマス・ストーリーが・・と書いたけれど、ラストだけではない。そこに至るまで、3人の間を経由する5000ドルの大金の収めどころや、少年と父親の邂逅など、ちょっぴりスリリングなシーンもある。また、こちらが思うようなハッピーエンドではないにしても、ほろ苦い顛末(もちろん、彼らにとってはこれからも続く物語なのだけれど)や、ちょっといい予感が用意されていて、うまい展開だなあと思った。
人生、うまくいってるときの方が少ない気もするけれど、人に頼ったり、頼られたり、着かず離れず人間同士が関わり続けている以上、悪いことばかりじゃない。
今となっては注釈が入る喫煙シーンがたくさん出てくる。ニューヨーク、ブルックリンで生きる市井の人々の悲喜こもごもを、くよる(※)煙で優しく包んで魅せてくれた。
※「くよる」は、出雲地方の方言で「くすぶる」という意味らしいのだが、岡山出身の私のボキャブラリーの引き出しにもあった。確かに、くすぶっているときの煙の様子には違いないのだけれど「くすぶる」は、なんだかネガティブな印象を受ける。くよるには煙がゆっくり流れるだけで、ネガティブなイメージは私にはない。それで、あえて方言だけど使ってみた。
つーか、私のブログには、ちょいちょい岡山弁や関西弁が出ている。藤井風じゃないけれど、方言がとてもフイットする時って確かにあるのだ。(藤井風を持ち出すのは図々しいにも程がある!)
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