宮藤官九郎✕大泉洋。
うだつの上がらない脚本家が太平洋戦争末期の日本に家ごと家族ごとタイムスリップ!
以上の情報で笑って泣けるコメディだと思って見始めた。
しかし、始まって程なく呆気なく見つかってしまった令和の造りの家に残した愛犬が兵士に殺されてしまう。ここであれ?これ、ドラマらしい予定調和じゃなくて、とことん昭和の戦時下の現実を描くの?と、雲行きが怪しくなってきた。
負けるとわかっている戦争、終戦のその日が来るまで何とか非国民扱いされないよう生き延びなければならない。大泉洋演じる脚本家の父親や令和から来た大人たちは、本心を隠しながら配給にありつくため軍需工場で働く。同時に何か出来ないかと考え、一人でも空爆から逃れさせようと、東京下町の空襲の日を占い師のお告げとして流布する。果たして、彼らの努力は報われるのか?
ところが、下町の空襲の前に史実にない大きな空爆が彼らを襲う。家族とも離ればなれになり閃光の後気がついて見渡した街は昭和のそれとは違う…。
爆撃で色がなくなったビル群の向こうに東京タワー。隣でうめく黒こげの男に何年か聞いたら……。
「猿の惑星」のラストに通じるこのシーンには驚愕するしかない。
それにしても、一億総狂っている(中には狂ったふりをしている人も?)世間の中で、若い人たちほど狂気に染まるスピードの速さと深度に震えた。
「ダイバーシティなんてくそ食らえ。みんな心を一つに、疑うことなくこの戦争に勝つんだ!この挙国一致の精神が奇跡を起こすのだ」と必死の形相で、令和から来た子どもたちは大人に訴えた。スポンジのように崇高な思想を吸収し、行動に表す若者。
遠い国で、少年兵が続々と生まれることに、納得してしまう。
ところで、なぜあのラストなのだろう。歴史が変わっていることになる。
令和から来た者たちのささやかな行動、空襲の日を予測した体で人々に知らせたことや、その他にも彼らが生き延びたことで、太平洋戦争末期の戦況が変わったのだろうか?
そして、結局また大きな戦争が起こっている。
以前NHKの「フロンティア」という番組で見た、人類80億人の繁栄の理由とその行く末を暗喩した内容を思い出した。
十数年前にアメリカでモルモットを使った実験をしたという。モルモットに、十分な環境と食料を与え続けるとどうなるかというもの。始めは順調に個体を増やしていくが、一定の数に達すると、住みかを分けグループを作るようになる。さらに大きなグループのほか、少数、一匹だけ離れて暮らすものも出てきて、そのうち争うものがでてくる。食べ物は十分あるのに、争い、傷つき、死んでいくものも出てきて数年後には0になったというものだ。
動物の性なのか。
増え続け、繁栄し続けるかのように見える人類。しかし、地球は人が住み続けるには限界がある。
科学者たちは、だから人類の叡知は、宇宙を目指している、みたいな感じて話を締めくくっていたようたが。最初に人類が繁栄したのは「人は他者に共感することができる特性を持つ」から始まったのに、終わりは何ともキナ臭く終わった感がする。バラ色の宇宙移住計画に私は思えなかったなあ。
話がだいぶそれたけれど、山田太一原作の本作、今の時代に十分訴えるものがあった。あの時代に正気を保つこと、特攻に行けと言われて行きたくないと言うことが、どんなに困難なことだったか。自分ならどうだったろう?
この先同じようなことが起きそうと感じた時、自分ならどうする?
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