9月の終わりから、約2週間毎帰省している。
父が脳出血で入院したためだ。
これまで、入院している母に面会するため帰省し、父の暮らしをほんの少しだけサポートしていたのだが、その父が倒れてしまった。
不幸中の幸いで、父は母に面会した後、病院の駐車場から車を出そうとして脳出血を発症したようで、一瞬右手が効かず、車が道路をふさぐことになり大騒ぎ。病院スタッフ総出で車を駐車場に戻し事故を免れた。
また、深刻な後遺症が残らなかった。翌々日私たち姉妹が病院に付き添い、そのまま入院、2日ほどHCUで集中治療を受け、明日は本格的なリハビリのため専用病院に転院する。
2週間前、父の今後をどうするか、ケースワーカーさんたちと本人を交えて話したのだが、入院生活ですっかり気弱になった父が、家で一人で暮らすのは無理だから、病院か施設に行くとおぼつかないしゃべり方で言った時は正直ショックだった。
父が入院した直後、いや検査の段階から、父は何度も家に帰ろうと私に言った。たぶん、検査を重ねて入院し、転院したら、母のように弱っていく一方でそのまま二度と家に帰れないと思ったのではないか。入院してからもしばらく、もう家に帰ると言っていたのだ。その様子を見て、私は父がリハビリして誰かのサポートがあれば家で過ごせるなら、私が一緒に暮らそうと思った。今までそのようなことを具体的に考えたことはなかったけれど、病院スタッフの話では、リハビリすれば一人で食事も歩行も以前のように出きるようになる可能性が高いと言われた。
寝たきりだったり、認知症が進み一人で出歩き、目が離せないようでは、自分一人で介護を担う自信はない。申し訳ないけど施設にお世話になるしかないと思っている。しかし、食事の支度や薬の管理をサポートする程度ならやれるのではないか。自宅からデイサービスも利用してもらうことも考えている。
私は何としても、父にもう一度あの家で、のら猫の訪問を待ち、庭の菜園を始めて欲しいと思ったのだ。そして私は、これまでの帰省と同じように空気のようにあの家にいて、在宅ワークも時間を短縮させてもらえるなら続け、父の暮らしをそっと見守れたらいいなと思ったのだ。
甘い考えかもしれない。しかし、深刻に考えれば、一緒に暮らすよ、とは言えなかった。
あの頑固な父と2人で暮らせる?
正直1週間で音を上げることになるかもしれない。でも、私にも父にもチャンスをくださいと、呟いてみた。父が世話していた菜園を思い浮かべながら、頭には藤井風の「ガーデン」が回っている。
久しぶりに、晴れた空に浮かぶ富士山を拝めた。
今日の富士山はいつにも増して威厳があり、厳しく恐ろしく見えた。写真ではその印象はないかもしれないが、雪を全く頂かず真っ黒い巨大な影のようだからかな。
あんたの考える介護生活は厳しいよ、と言われているみたいだった。