お年寄りだけでなく家族にも寄り添って介護、同僚からも一目置かれていた介護士、斯波(松山ケンイチ)は、42名のお年寄りを殺した大量殺人犯だった!
ある事件がきっかけで斯波の殺人が発覚するわけだが、それまでは老人を殺してもバレることはなく、犯行は続けられたのだった。
なぜ、献身的で介護士のお手本となるような男が大量殺人を犯したのか?
斯波は、認知症で暴れたり終末期で意思疎通できないお年寄りを抱え、介護と生活でギリギリの精神状態になっている家族を注意深く観察していた。そして子どもたちがそろそろ限界・・・と思う頃にニコチン注射でお年寄りを見送った。
斯波曰く、聖書の言葉にあるとおり「私がしてほしいと思うことを、相手にしてあげなさい」を実行した。きっかけは自分の父親(柄本明)が、脳梗塞の後遺症と認知症に苦しみ、殺して欲しいと懇願したことだった。(このシーンの柄本明の演技がすさまじく、悲しいのに目を伏せたくなるような・・涙しながらも複雑な気持ちになった。柄本明、スゲー)
斯波は、本人と家族のために、自分が命の終わりを与える神だと思っていたのだろうか。
暴れる認知症の母親を看る娘(坂井真紀)は職場が、母親から解放され少しでも自分らしくいられる場所となっていた。彼女は、自分の母親が斯波に殺されたと知った後、斯波を恨むでもなく、一言「(母親が亡くなって)ほっとした」と言った。
一方で、父親を殺された娘(戸田菜穂)は混乱が落ち着き、斯波の裁判を傍聴した後、「人殺し!お父さんを返せ」と泣き叫んだ。彼女も子育てと深夜の仕事と介護に追われてギリギリの家族の一人だったのだが。
斯波を含むそれぞれの介護の現場が壮絶で、まるで他人事とは思えなかった。
施設に入ることができる老人ばかりではないのだ。また、自ら進んで入る老人ばかりでもないのだ。きっと。
斯波の犯罪心理を紐解いていく検事、大友に長澤まさみ。斯波が自分のしたことに対して後悔や反省がなく、あくまで老人たちの”最後をケア”した=ロストケアだと主張したことに対して、毅然とした態度で”正義”の言葉を吐いた時はカッコ良かった。しかし、その言葉と表情の裏には、とんでもない十字架を背負っていたわけだが・・。
ヒリヒリするような検事と殺人犯のやりとりの間、長澤まさみと松山ケンイチの顔がとても美しいと感じたのはなぜなのだろう。
松ケン・斯波の表情は、神のそれだったような気がした。穏やかで迷いや揺れがない。(間違ってもサイコパスの顔ではなかった)
長澤まさみ・大友の目も美しかった。その視線は、斯波の心を見つめながら、同時に殺されたお年寄りを見ていたのか、そして自らの親を見ていたのだろうか。
大友の事務官、椎名に鈴鹿央士。大友の右腕となる仕事熱心な若者。鈴鹿央士、いい仕事していました。というか、彼を含めメインの俳優の演技が素晴らしかった。
個人的には、入院している父親が退院後、一緒に実家で暮らそうかと思案している私にとって、今観るべき映画かどうか迷ったのだけれど、いろいろな状況、親の視点、ケアスタッフの視点、娘の視点、そして斯波の視点。どれもが間違っておらず、かといって正解ともいえず、簡単に白黒つけられるものでないことを痛感した。
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