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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「ぜんぶ、ボクのせい」(2022年):あのラストシーンから、光を導き出すのは難しい・・

オダギリジョー出演作ということで鑑賞。

5歳の時母親に捨てられ児童養護施設で過ごす優太(白鳥晴都)は、中学生になり母親に会いたい一心で施設を飛び出し、地方に住む母に会いに行く。ところが、母親(松本まりか)は男(若葉竜也)と自堕落な生活をしていた。結局母親に拒絶され、養護施設の迎えからも逃げた優太は、海岸に置いた軽トラで生活するホームレスの坂本(オダギリジョー)と出会い、行動を共にするようになる。

優太は学校でも施設でも自分の居場所を見つけられず、母との生活を逃避先としたけれど幻想に終わった。坂本は、子供の頃の母親からの虐待がトラウマになっていたが、その母親が地震のあった名古屋に住んでいるということで会いに行こうとしていた。しかし車が故障して動かなくなったせいで、1年以上も海岸で暮らしている。
そして、もう一人。坂本に時々会いに来てパンをくれる女子高生の詩織(川島鈴遥)。裕福な家庭に育ちながらも、幼い時に亡くした母親の死に疑問を持ち、父親の期待に応えられず、自分を傷つけるかのように援助交際をしている。

3人の共通点は、母親の愛、いわゆる誰もが想像できるような普通の”母親らしい愛”を渇望していること。
優太と坂本の共通点は、それにプラスして絵が上手いことと、身寄りがないこと。

それぞれの事情を詮索することもなく3人は寄り添うことで、そして名古屋に一緒に行こうと言い合うことで、つかの間の平穏と希望を享受していたのだけれど・・・

 

物語は最後まで理不尽で、善き方向へ展開しなかった。
ニグレクトや虐待を受けたり、児童養護施設で育った人の中には、こういう顛末になる人もいるってこと?
「人は自分がいつ死ぬかということを選べる」と言った坂本は、その言葉の通り自分でその時を選んだ。
ラスト、優太が「ぜんぶ、ボクのせい」と鋭いまなざしで刑事に向けて言い放ったのは、責任を持つ覚悟、一人で生きていく覚悟のまなざしだったのか。
うーん、しかし、その後の優太に光はあるのだろうか。唯一、疑似的にしても父親と慕った人が坂本だものなあ。盗品の自転車や捨てられた家電を売って生計を立てていた彼に生きる術、自由でいるためのものの考え方を学んだのは確かだろうけれど・・。
(クズもの買い取り業者に仲野太賀。優太が関わる坂本以外の唯一の大人)

狡猾で飄々としていて、いいかげん。来るもの拒まずの坂本をオダギリジョーらしい味で表現。ちょっとだけその風貌が「僕の手を売ります」のプロアルバイター、大桑と重なったのは私だけだろうか。

また、ふにゃふにゃと男にしだれかかる女を演らせたら、この人の右にでる者はいないのではないか、松本まりかの母親役は真骨頂。

主演の白鳥晴都はオーディションで選ばれたそうだけれど、今後が楽しみな子役だ。

最後に、今では主役級の若葉竜也や仲野太賀がひょっこり出演していて安心感があった。

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