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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

日本で最初のシネコンが33年の時を経て幕を下ろす:イオンシネマ海老名の最終日

イオンシネマ海老名が「スター・ウォーズ」の聖地になっていたのを知ったのは最近のことだ。少なくとも私が劇場に勤務していた1998年はそうではなかった。

最大劇場である7番スクリーンが、ルーカスフィルム認定のTHXシアターであること(もちろん日本初)、ゆえに劇場も1999年のエピソード1からの3部作以降、スター・ウォーズ興行に力を入れてたことがその理由だろう。

ワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開業した1993年から5年後の1998年(うわあ、今から28年も前だあ・・)、私は約1年弱、劇場研修ということで、スタッフ、その後マネージャーとして勤務したことがある。

97年に公開した「タイタニック」が大ヒットし、翌年のゴールディン・ウィーク中も客足が絶えなかった。
夏休みは朝7時台から上映があり、6時半に出勤したら既にお客さんが入口前に長蛇の列を作っていた。
最大劇場のTHXシアター7番は、満席になると観客の熱気でドアが内側から勝手に開いていたのを憶えている。
上映終了後、ポップコーンや飲み物の容器を回収するためにドア近くにいた時、お客さんの満足そうな笑顔を見るとハッピーな気分になれた。
時には「あなた、(映画)良かったわよお」なんて声をかけてくれるおば様がいて、そんな時は自分が作った映画でもないのに誇らしい気持ちになったりした。

20代前半のスタッフが大半で自分とは10歳近く離れていたけれど、映画の話題で会話にあまり苦労しなかったなあ。

当時の私にとって映画興行は全くの異業種であり、特に映画好きでもなかったけれど、劇場で働き、たくさんの映画に触れ、そして映画を愛する人々と交わるうちに、自分もいつのまにか映画業界の末席を汚すようになっていた。

 

最終日の5月17日、クロージングセレモニーに参加するべく、コンセ(売店)でポップコーンを買うために並んでいたのだが、フロアや券売機を見ながら、当時のことがばーっと浮かんできて、まさに青春が蘇るとはこのこと、感慨ひとしおだった。
一緒に行ったかつての同僚はこの劇場の立ち上げスタッフで、支配人まで上り詰めた人。私の感慨深い・・の比ではないくらい万感の思いと一抹の寂しさを感じていたことだろう。

 

「スター・ウォーズ エピソード6」上映終了後のクロージングセレモニーは、往年からのスター・ウォーズファンと、海老名でお世話名になった元従業員たちの熱気に包まれとても温かいものだった。

 

少し前に、アメリカのワーナー・ブラザースがNetflixに買収される・・?というニュースの後、結局パラマウントに買収されることになった。
日本初のシネコンは、マイカルグループとワーナーグループの50:50の合弁事業で始まったわけだが、ワーナー・マイカル・シネマズが日本国内で500スクリーンに達した後、ワーナーはイオンに株を譲渡し日本のシネコン事業から手を引いた。ちょうど合弁会社設立から20年後のことだ。

ワーナーが買収されたことと、海老名の劇場がクローズした時期が奇しくも重なったことで、今の映画業界が大きな転換期であることを感じずにはいられない。

 

海老名の劇場とTHXシアターは、きっとファンと海老名に携わった従業員の心の中に、伝説の劇場としてずっと生き続けることだろう。
28年前、初めて体感した五臓六腑を揺らすTHXサウンドの衝撃。
あのバケツみたいな容器に溢れんばかりに盛られたバター香るポップコーン。
シネコンは戦後から様々なアメリカの文化が入ってきた日本で、最後に登場した”あこがれの”アメリカ文化だったのかもしれない。

33年間運営に携わった皆さま、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

 

上映前に一緒に働いたスタッフに再会したのだが、彼の「ごゆっくりどうぞ」という言葉がなんとも心地よく懐かしく、ずっと耳に残っている。

(C)ORICON NewS inc.