アメリカ南部、貧困地域に住む黒人の少年シャロンが大人になるまでを描いた本作。
シャロンの周りも含め、アメリカの黒人貧困層に生まれた者の生き方の典型なのか?と思っただけで観終わってはいけない。
「夜のビーチで戯れて遊ぶ黒人の青年たちが、月の光に照らされるのを見ると、彼らがブラックではなくブルーに見える・・」
母親が薬中のシャロンを、父親代わりのように面倒を見たヤクの売人フアンが、ある晩シャロンに言った言葉だ。そのあと彼は「自分の生き方を人に決めさせるな、自分で決めろ」とシャロンに言う。
”リトル”と呼ばれいじめられっ子だった少年時代、男子生徒特有の思春期(異性への興味)を経験することなく、相変わらずいじめのターゲットになりがちな高校生時代の”シャロン”、そしてひ弱だった自分を改造し、薬の売人としてのし上がり”ブラック”と呼ばれるようになったシャロン。
貧困、シングルマザーでヤク中、売人、ゲイへのいじめ、世の中の不幸が全部陳列されたようなコミュニティで、マイノリティの黒人の少年がたどり生きる道はこれしかないのか?
しかし、唯一のシャロンの友達ケヴィンは更生してコックになっていた。ケヴィンとは高校の時にひどい別れ方をして以来、大人になって再会。そこでシャロンがケヴィンに言った一言、そのシーンを思い返していて「ムーンライト」の寓話がよみがえった。
月の明かりは黒人を黒として照らし見せるのではなく、別の色、青にして見せる。
つまり、月の光は”黒人”という表面のフィルターを取り除き、その人の別の一面を照らす。そしてその別の姿を見ている者が必ずいるということではないか。少年期に出会ったフアンがそうだし、唯一の友人だったケヴィンも、いつもシャロンをバカにした物言いだったけれど、シャロンの芯の強さを知っていたと思う。
シャロンのほうも慕い尊敬していたフアンと同様、ケヴィンの存在に救われていたのだと思う。
それに気づいた時、鑑賞後の重い気分が軽くなった気がした。月明かりは誰の上にも降り注ぐ。黒人だけの問題ではない、一人一人、その人の見えている部分ではない別の部分を見ている存在がいる!
前半しか登場しないが、シャロンを可愛がるフアン(マハーシャラ・アリ)の演技が出色。話し方、ちょっとした癖など役作りが半端なく、数々の映画賞で助演男優賞を受賞している。私はそれまでマハーシャラ・アリを「グリーンブック」でしか観たことがなかったので、本作の彼を同一人物とは思えなかった!
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