はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「君の名前で僕を呼んで」(2017年)

17歳の青年の一夏の恋の物語。

大人の男になる前の、蒼白く尖った細い体の中から突き上げる衝動。それを押さえるだけの、しつけられた品行と、聡明さからくる憂いのある黒い瞳。
撮影当時21歳くらいのティモシー・シャラメ、細マッチョでもないけれど、ほとんどのシーンが上半身裸の姿で登場、その姿だけですでに物語に必然性を持たせているところがすごい。

育ちのいい誰からも愛される青年、エリオ(ティモシー・シャラメ)の恋は、誰にも邪魔されることなく、そして否定それることなく静かに周囲から応援されていたように思う。衝動で抱いた女友達でさえ、彼の裏切りを許している。男性(オリヴァー=アーミー・ハマー)を慕う彼に対しては、別の女にとられるよりもよっぽど寛容になれるものなのだろうか。

繊細な心と美しい容姿を持つ青年と、魅力的で精力的なアメリカ人の青年との同性同士の恋愛ものだが、よく考えれば男女の物語としてありがちな設定。最初は反発し、そして近づいたり離れたり、北イタリアの美しい自然の中で愛を育む二人・・。特に大きな事件もなく、一夏を共に過ごした後別れがあり。。

ラストのティモシー・シャラメの泣き顔のシーンが結構長い。しかし、ずっと観ていられるほど切なくて美しかった。 

君の名前で僕を呼んで [DVD]

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  • 出版社/メーカー: Happinet
  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: DVD
 

 

 

 

「スカーレット」-12

「川原さん」。「十代田さん」。離婚してから名前でなくお互いの姓で呼び合う元夫婦。

喜美子(戸田恵梨香)にとって八郎(松下洸平)は男女、夫婦というよりは弟子と師匠の関係性のほうが強かったのではないか。いや、最初は恋する男女だったけれども、喜美子が陶芸を八郎に教わり、それを面白いと感じ、一から自分の作品を生みだそうと思い始めた時点で、八郎は喜美子にとっては陶芸家の同志となってしまった。だけど、八郎にとって喜美子は、陶芸家ではなく愛する”女”のままだった。

陶芸家の二人は夫婦として両立できないものなのだろうか。

もちろん、ドラマを通して、なぜ両立できなかったのか、心が離れていく過程とディテールは描かれており想像はできる。しかし、朝ドラならそれを乗り越えて、二人は最後ハッピーになるんと違うの?

別れてからの二人のシーンは、つらくて寂しい感じがする。同時に喜美子の強さと八郎の意地みたいなものも感じる。なんともなー。

陶芸家としての大成と一人の女性としての幸せ、その両方を手にすることの難しさ。それが当時の(?)現実なのかもしれない。

40代を演じる松下洸平がそのまま40代に見えるところがすごい。戸田恵梨香と大島優子も。ところで同じく40代に突入した信作・林遣都が最近登場しないのはなぜ?課長(補佐?)になって忙しく飛び回っているということになっているのだが、百合子はちょいちょい出てくるのになー。

林遣都が忙しいのか、40代の林遣都が厳しいのか・・。(いや中学生演ったくらいやから、40代もできるはず!)

 

ほどほどの期待に応えること

私は、わりと0か100の人間である傾向にある。(回りくどい)

期待されていると思うと、自分の持っている力以上の結果を出したいと思う。したがって相手が要望したこと以上のことをやらなければならないと、つい勇み足になりがちだ。

しかし、何かの拍子に、改めて最初の要望(期待)を思いださせてくれるタイミングに出くわす。

「残業はなるべくしないでください。」

そうなのだ。今の私の持っている力の範囲内でコト(仕事)に当たればいいのである。無理をする必用はない。

 

組織で働く者として、所属するチームのニーズに応えることはとても重要だ。

例えば、よりチーム全体として、あるいは会社全体のためにこうしたらどうか、と思うところを口角泡飛ばして議論したいのだが、それは今の私には期待されていないことだ。(と思う)

私への期待はほどほどなのだ。期待に”ほどほど”応えるのではない。”ほどほど”期待に100%応えるのだ。

しかし相手の”ほどほど”加減を慮るのは実に難しい。

相手の発言内容と、それを言ったときの表情、それを何度も反芻して府に落とす。ついでに目に入る周りの状況には時として目をつぶる。相手のほどほどな期待に、どんぴしゃり100%応えることが肝要。それが今の私の立場における、プロフェッショナルな仕事というもの。

文字にすることで咀嚼して飲み込む。

 

 

 

おかんのひな祭り

娘のために買った内裏雛を、毎年この時期飾っているのだが、娘といっしょに飾った記憶がない。誘っても娘はまるで興味を示さない。せいぜい、ひな祭りだからちらし寿司やイチゴのケーキでも食べる?くらいしか関心がない。まあ、男雛・女雛と周りの飾り物、道具しかないので一人で30分もあればダンボールから出して飾れる。

忙しい時期は出すのさえ遅くなったし、3月3日が過ぎたらすぐにしまわないと嫁入りが遅れるというやっかいな迷信があり、また、飾るのが遅れると雛が箱の中で踊るという恐ろしい迷信も亡くなった祖母からよく聞いた。ということで、節分でのり巻きを巻いた後から、3月3日まで忙しない。

今年は娘の受験もあって気が気でない日々なのだが、お雛をキチンと飾ることも願掛けみたいで、どうか見守ってくださいと、娘に似たお顔の女雛(まだ赤ちゃんだったが、娘に似た顔の女雛を選んだ)を飾りながら祈った。

 

2年前に保管場所を誤り、両雛の顔と男雛の襟にシミができてしまっている。どちらも目立たない場所だが、少し濃くなっているのを確認した。いつまでもきれいな状態を保つのは難しいなあと思いながら、今日はお雛に添える花を買おうと思う。

 

 

 

機嫌良く過ごすこと

同じ時間を過ごすなら(生きていくなら)、不機嫌に過ごすより、機嫌良く過ごす方がたぶん得をする。

自分自身の心や態度の在りようにもブラスになる。何も始終機嫌良く、ニコニコしていろと言うのではない。確かに自身の力だけで自分の機嫌を調節するのは難しい。

コツはこうだ。

例えば余裕がない時、厄介な仕事前に緊張している時、自分の機嫌どころではないのだが、ふと目にはいった、いいなと思えたものにすかさず反応するのだ。

先日の私の経験では、それは同じ職場で働く人の表情だった。スッキリ化粧した彼女は、少なくとも朝から不機嫌ではなく、目があって挨拶を交わし、笑顔で当たり障りない会話をした。今日の彼女、いい感じだなと思った。それだけなんどけど、気分が明るくなった。他人の機嫌の良さは、私に伝染する。(我ながら単純だと思う。)

そんな簡単なことで、余裕のなかったその日の始まりをしかめ面でなくやり過ごせた。ご本人は全く何も思っていないだろうけれど、私は彼女の笑顔に感謝した。

笑顔って大事。

たとえそれが愛想笑いでも、日常において周りを和ませる効果があると思っている。だって作ったとしてもその人は、自分を相手によく見てもらおうと行動しているのだから。その努力が健気ではないか。

心を軽くするものとして笑顔のほかに、好きな音楽というのもあるだろう。道端の花という人もいるし、時々通うコンビニのイケメン店員という人もいるだろう。

自分の機嫌を調整できる術を持っていると、少し楽に生きられるような気がするよ。

 

「スカーレット」- 11

これは、私の勝手な妄想(願望)なのかもしれないが。

違うで!喜美子。

「僕は喜美子を陶芸家ではなく、女と思っている」という八郎の言葉は、

〇「僕は喜美子を陶芸家ではなく、(僕の愛する守るべき)女と思っている」が本心で、

✖「僕は喜美子を(僕と張り合う)陶芸家ではなく、(僕を支えてくれる)女(奥さ
 ん)と思っている」ではないと思うのよ。

 

しかし、この自分が書いた(  )付きの言葉さえ、少し考えるだけでも空虚なものになってくる。

つまり、ぼくの”愛すべき守るべき可愛い”と思った時点で、自分より弱い者へに対する憐憫の情に他ならないからだ。いやいや、女ですから、愛されてなんぼのもの、守られてなんぼのものですやん。と思う一方で、そうじゃないだろう!ともう一人の私が声を張り上げている。八郎は喜美子という陶芸家(才能)を、結局認めていないわけだよね。いや、早くから気づいて認めているけれど、やっぱりそれは自分の手の中にいる喜美子でなければだめなのだよね。

 

ああ、深い。朝ドラにしてここまで深いと疲れる。

どんちゃんの言い争いこそないけれど、この夫婦の芯のところでの男女の闘いがリアルで怖すぎる。次回、私の願望はかなうのだろうか。

 

 

 

"やったるでー" from「スカーレット」

あれもこれもやらなきゃいけないことが重なって、そのうち1個くらいが、これ今やること?って一瞬思ったりするのだけれど、先延ばししても良くない結果しか思いつかないし、とにかくやらなきゃいけないことを、ブルドーザーのようにやる。

すると、いつもより早く朝の支度ができたり、冷え症の体が少し熱くなったり、瞬間"やったる!"のエネルギーが体のどこかから出てくるのを感じた。

これって「スカーレット」の主人公、喜美子が、15歳で単身大阪に行くとき拾った古い信楽焼の欠片の色を見て、勇気を貰った時の"やったるでー!"の時の気持ちに似ているのではないかと思った。

困難の大小はあるけれど、それに直面した時の、"やったるでー"の気持ちがでるかでないかは、自分を信じられるかどうか、ではないか。

 

ではここぞという時、自分を信じられるようになるにはどうすればいいのか。

それは、頑張ったり、腹をくくって物事に対処した後に"できた!"という成功体験を得るしかない。

とにかく、"やる"ことが重要。熟慮も過ぎたるは期を逃す。