< script data-ad-client="ca-pub-5086079268044038" async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js">

はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「インビクタス/負けざる者たち」(2010年)

ラグビー漬け。にわかファンにして、屈強な大男たちの肉弾戦に魅了されている。

ゲーム中、よく選手が一直線に並ぶシーンがあるが、ユニフォームが緑の芝に映えて美しい。タックルやつかみ合い、引っ張り合い何でもありゆえに、反則があるとすぐにセットプレーになりスクラムやラインアウトから始まる、争い(ぐちゃぐちゃ)を引きずらない清さとスピード感、抜け出てパスをしながら走る疾走感。トライが決まった時の歓喜。

9月20日に開催地日本での初戦「日本×ロシア」の観戦から始まり、まるで決勝戦のような「南アフリカ×ニュージーランド」戦も観た。

でもって金曜ロードショーの「インビクタス/負けざる者たち」。監督はクリント・イーストウッド。南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラをモーガン・フリーマン、南アフリカ代表”スプリングボクス”のキャプテンをマッド・デイモンと鉄板のキャストではないか!

 

実際のラグビーの試合シーンは最後の15分で、ネルソン・マンデラの黒人と白人の心を一つにして建国しようとする、そのためにスポーツ→ラグビー→ワールドカップという大舞台を利用した話。

国を代表して戦うスポーツは国民を一つにし、勝てば彼らに歓喜・笑顔をもたらす。あれっ、どこかで聞いた言葉だと思ったら、「いだてん」でロサンゼルス、ベルリンで水泳チーム率いた田畑政治(阿部サダヲ)が言っていた言葉ではないか。そして、つい先週観たベルリンオリンピックの回では、奇しくもヒトラーがナチス率いるドイツのすばらしさを盛大にPRし、成功をおさめた。

政治PRにオリンピックを利用することについて、「いだてん」では否定的に描かれていたが、この1995年の南アフリカでのラグビーワールドカップでのそれは、この国が白人と黒人が1つのチームになって善き方向へ変わることを世界に知らしめた正しい使われ方だったと思う。

 

実話に基づいた話を、ここで泣けとばかりにデフォルメすることなく描き切った点が、(さすが!)クリント・イーストウッド。私が泣きそうになったのは、マンデラが黒人初の大統領として執務室に入った日、それまで白人の大統領の元で働いてきた白人官僚たちに対して語った時だ。静かに、しかし国を変えるというゆるぎない責任感がにじみ出た言葉にジーンときた。

ラグビー映画と思ってみたらちょっと違う。マット・デイモン扮するキャプテンが、マンデラが30年近く囚われていた独房を見学した後「30年にわたり絶望を味わされた相手をなぜ許すことができるのか、考えていた」というようなことを言っていのが印象的だった。

”INVIVTUS”とは「屈服しない、征服されない」という意味。ネルソン・マンデラの不屈の精神を支えたのは、”我が魂を制するのは我なり”というウィリアム・アーネスト・ヘンリーの「INVICTUS」という詩の一節。不屈の者こそが勝った時、高邁な理想の実現のために復讐や報復をする時間はない。”赦す”度量はそのために必須なのだ。そう言えば、映画の中でも何度もその言葉が出てきたような気がする。 

インビクタス / 負けざる者たち [Blu-ray]

インビクタス / 負けざる者たち [Blu-ray]