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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「白鍵と黒鍵の間に」(2023年):昭和の終わり、ノスタルジックな青春映画・・?

なぜ本作をミステリーと勘違いしていたのだろう。(以下、ネタバレしています)

てっきり昭和最後のバブルのにおいがプンプンする銀座のキャバレーやクラブの音楽シーンを舞台に、ヤクザが絡んだクライム・ミステリーだと思っていた。
鑑賞のきっかけは池松壮亮。彼が夢を追いかけるピアニスト博と夢を捨てたピアニスト南を演じ分けるというから観始めたのだ。

確かに序盤で刑期を終えた”あいつ”が博が弾くピアノに近づき「ゴッドファーザー」のテーマ曲を弾いてくれと依頼したが、その曲をリクエストできるのは”会長”と呼ばれる銀座のボスと、演奏できるのは南というピアニストだけという伏線。てっきりその理由や”あいつ”と”会長”の因縁などがこれから解き明かされるだろう、そして博と南の邂逅があるのかなどワクワクしたのだが・・・。

結局私の期待は裏切られ、というかそんなものはこの映画の本筋には何の関係もないことがだんだんと分かってきた。
繰り返されるのはクラブのバンドマンたちの理想と現実の乖離。夢や希望よりも、目の前の客が喜ぶものを演奏すること。そんなやりとりが南の周りで、そして博の周りでも語られる。徐々に博と南が同一人物に見えてきて「あれ?池松、演じ分けてないの?」と一瞬思ったけれど、二人が同一に見えたのは当たり前、そもそも南博という人物の過去と3年後だったわけだ。

むう、そこに行きついて思ったのは、なんてファンタジックで内省的な映画だったんだろう・・・。確かに原作はジャズ・ミュージシャン、南博の回想録なのだ。南博!ここ抑えていたら、最初から2役とは思わなかった??

前半の池松の南と博の演じ分けは面白かったし、博にしても南にしても熱い情熱を持ったミュージシャンというよりは、どこか冷めた力が抜けた感じがあり、そこが池松壮亮らしかったし、それがより強い南の方がカッコよかった。

しかし、本作でおいしいところをもっていったのは、”あいつ”を演じた森田剛ではなかったか。
森田剛って、あんな良い演技するんだ。そして音楽屋の矜持はあるがどこかイカレタ感のあるバンマスを演じた高橋和也。二人の元ジャニーズの存在が光っていたなあ、というのが正直な感想だった。

 

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