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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「SUPER RICH」-2:最後までブレなかった主役=衛(江口のりこ)

まあ、展開のアップダウンが激しい、忙しいドラマだった。
でも終わりよければすべて良し!なんだかスカッとした最終回だった。

電子書籍の会社の女性社長(江口のりこ)を中心に、社内外の裏切りや図り事に遭い、何度も会社の危機を乗り越えながら、ついには会社を上場させることができた。
と思ったら信頼していた先輩の会社に敵対的買収を仕掛けられ、そして大どんでん返しで難を逃れる。

おカネに不自由なく育った主人公=衛(江口)が金策に奔走したり、産休・育休制度や自らも病気を経たことで、スタートアップ企業に様々な福利厚生の制度を整えていく、割とリアルな話も盛り込まれていた。
そしてその傍らで、なぜか(!失礼)衛を慕う年下の若者(赤楚衛二)との恋愛、右腕の秘書(町田啓太)からも愛され、ついでに旧知の親友(中村ゆり)からも恋愛感情を持たれと、モテモテの衛。彼らの真剣な思いを軽妙に交わしながらも、一方でちゃんと受け止める度量の大きさを持つ関西弁の女社長、衛はやっぱり愛されキャラだと思った。

思いを遂げた年下の若者=優(赤楚衛二)と結婚してからも、あまーいはずの新婚生活にアマアマ感は一切ない。でも二人が楽しそうで、お互いを大切に思っていることはちゃんと伝わる。

会社経営がどんなにアップダウンしようと、会社と社員を守ろとする社長としての責任感と、冷静な恋愛感を持つ衛。その傍らで、人として、男としても成長していく優との対比が面白い。そう、衛のキャラは、江口のりこの演じる衛として最後までブレていなかった。彼女と優くんの掛け合いは見ていて本当に楽しかった。

 

会社の敵対的買収に対して、ホワイトナイト、ゴールデンパラシュートやクラウンジュエルなど、買収防衛策用語が出てきて面白く、「ハゲタカ」というドラマを思い出した。また、社内外の裏切り行為の応酬については「半沢直樹」を勝手に彷彿。
スタート時点では、設定が「押しの王子様」だった。
終わってみれば、それらのドラマの要素を少しずつ入れながら(いや実際意図して入れたのではなく、たまたま同じような要素が入ったのだと思う)、笑いの要素を抜かりなくちりばめてライトに仕上げ、彼らにとっての本当の「SUPER RICH」とは?!で締めくくった。
江口のりこと赤楚衛二がぴったりハマった、かなり面白いラブコメお仕事ドラマだった。

 

追記:赤楚衛二、これまで好みの顔でなかったのでスルーしていたけれど、演技している彼はかなりいい!今後が楽しみな若手俳優だ。(今さらってか?!)

また、松嶋菜々子の冷徹なビジネスウーマンもかなり良かった!彼女のヒール役をもっと見てみたいと思った。

www.fujitv.co.jp

 

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MRI検査と補陀落渡海

MRIの検査を受けたのだが、白いドームに入っていった時、突然「補陀落渡海」という言葉が浮かんだ。
かなり前に読んだ「補陀落渡海記」という小説で知った言葉で、僧侶の捨身行の一つ。小さな船に乗って海に流され、そのまま浄土に行くという。

井上靖の小説では、補陀落渡海を決意した僧侶が、船出の直前で未練が出て、行を止めたいと思ったが周囲に許されなかった、という話だったような気がした。うろ覚えも甚だしいので、記憶がすり替わっているかもしれないが、小さな船の中で逃げられないように蓋をされたような気がする。(その時点で棺に入っていると同じだよね)
MRI検査をしている状況が、まるでそれと同じように思えた。

動かないように胴体を固定され、磁気を通す(?あるいは磁気が通っても安全なのように?)結構重いマットみたいなものを体にかけられ、手は胸の前で触れ合わないように置き、片手には耐えられなくなった時に知らせるブザーを握らされた。
体がほとんど固定されて動かない状況が、小さな船(小さな点では同じ)に乗せられ、動けない状況で死への旅路から逃げられなくなった僧侶と同じ状況に思えたのだ。
もちろん、死への旅路ではないけれど「やる」と言ってお願いして、直前にやりたくないと思っても、もうやめられない状況であることが同じ。

 

MRI検査を受けた人ならわかるだろうが、「カーン、カーン」とか「ゴンゴン」とか、とにかく宇宙船にでものっているような大きい音が響く。ヘッドフォンからはヒーリングミュージックも流れているのだが「カーン、カーン」の音量には到底かなわない。
「呼吸がゆっくりになるから寝ないでね」と言われたが、こんな大きな音がする中眠れるわけないと思いきや、閉塞感と体が動かせない不安から逃れようとするのか、つい意識が遠くなる瞬間がある。すると「呼吸がとまっています」とアナウンスが入って起こされる。

こちらは不安以外にも、まっすぐ板に寝かされたことで(持病の)腰痛が起こり、それもなんだか苦しく意識を飛ばしたいと思ったしまうのだったが、2,3回「呼吸が止まっています」というアナウンス。止まってないよ、止まったら死んじゃうやん。補陀落渡海で浄土に行っちゃうよー。早く終わってくれないかなーと思ながら、20分~30分程度の”行”に耐え、やっと解放された。

 

実は、検査に行く前に家族とヒトモメして、怒った後沈んだ気持ちで病院に向かった私。あの言いようはないだろう、と相手を責める気持ちでいっぱいだったけれど、後からよくよく考えれば、私の(良かれと思ってした)行為も、相手の状況を考えてあげてなかったことに気づいた。

MRI検査(=私の中で勝手に”補陀落渡海”)をやって、その時は自分が修行して他(この場合私の家族)に少しでも光明があることを、なんて変な願い(?)が頭に浮かんだけれど、なんのことはない。”補陀落渡海”で、自らの過ち(というには大袈裟だけれど)に気づかされたことになった。やはりあれ(MRI)は、私にとってある意味補陀落渡海だったのだ。

                          ―  変なブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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年賀状を書く

私と同年代の知り合いは、会社を退職した後、年賀状を卒業する旨を伝えて、年賀状作成から足を洗ったそうだ。

老齢を理由に来年よりご挨拶を遠慮します、と告げた親戚のおじさんの年賀状もある。

毎年、50枚くらいにならんかな、と思いつつそれを超えてしまう。それでも2年くらい前から70枚を切り、今年はついに60枚を切った。

 

大竹しのぶは日本郵便のCMで「大切な人に」というが、自分を振り返ると、出している相手皆さま全員が私にとって”特別な大切な人”と言えるだろうか?と疑念がわく。
というのも十年単位で会ってもいなければ、LINEやメールのやりとりがあるわけでもない、大学時代のかなり上の先輩や、新入社員の時2年くらいお世話になった先輩、最初の異動先のモールで1,2年一緒だったアルバイトの男の子(今は立派なお父さん)などなど、私が年賀状をやり取りしている相手は、先方も律儀に年賀状を出し続ける人というだけだ。

確かにその人々にはお世話になった。苦楽を共にした。若気の至りで迷惑もかけた人々だ。届いた年賀状を見て、結婚しているのか、どこに住んでいるのか、お子さんたちはもう中学生か・・・とそんなことをぼんやり認識しているだけの彼らの当時の顔を思い浮かべながら、若かりし日の自分を思い出す。

そう!
私にとっての年賀状を書くとは「大切な人に」というよりは「大切な、その人と一緒だった時の”過去の自分”」へ思いを馳せる行為であることに気がついた。

過去、しかもかなり大昔の、もはや思い出してもなんの参考にもなりそうにない過去を振り返ることに意味があるのだろうかとも思うけれど、まあ、その時間も人生の1ページと言えなくもない。

ということで、今年は、イラストの下に手書きで「お元気ですか?」だけでなく、もう少し自分の近況をつづることにした。それすなわち、今年の自分の1年をおさらいして1,2文にまとめるってことなのだ。

なんとしても、明日までには投函しよう。

 

※日本郵便の大竹しのぶと芦田愛菜のCMをネットで見ても「大切な人」という言葉が出てこないのだけれど、TVで確かにそう聞いたのよね。この言葉がないとこのブログが始まらないので、もし聞き間違いだったとしたらご容赦いただき、放念してください。

 

「日本沈没―希望のひと―」-2:一皮むけた杏の演技に感動

ものすごく期待して見ていたし、話の内容、そして状況が状況だけに俳優たちの力み具合も半端ないものがあった。主演の小栗旬の、今となっては”イケメン”の欠片も感じられない、中堅(年⁈)俳優としての熱演は、そのまま来年の大河ドラマ主役への布石か?と思わせるような見応えだった。

いつも小栗の傍らに立つマツケン(松山ケンイチ)の力みの抜けた演技もいい。

何よりも私は、杏が演じた女性記者の役柄にものすごくシンパシーを感じた。杏が演るからこその、嘘が感じられない泣きの演技に感動した。変にメソメソしておらず、気丈と言えばそうで、でも変に肩肘張って強がっている若い女でもない。曇りがなくて、真っ直ぐで、とても好感が持てた。小栗との恋愛感情のやりとりも、ドラマにありがちな非常事態の中での”ロマンス”として描いていないこともグッド。

 

話としては10話に収めるのが大変だったのか、そんなに都合よく日本の下にある海底プレートの動き(スロースリップ)が止まったり、変異した微生物による感染症の薬が、XXとYYを一緒に服用することで効き目があるとわかったり、少しご都合主義、帳尻合わせの展開もあったように思う。毎回、絶望と希望が交互に来るスピードが速すぎて、なかなかついていくのに大変だった。
それでも最後まで見切ったのは、やはり主演級3人(小栗、杏、マツケン)が魅せたからかなあと思う。

俄然、来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が楽しみになってきた。あれ?それを言うなら、次の日曜劇場の「DCU」って書かなきゃってか?!(確かに、こちらもmust seeでチェックしています!)

 

 

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「最愛」-2:ラストのなんとも言えぬ余韻が今も続く・・・

<ネタバレしていますので、この秀逸なミステリーの最終話を見ていない人は、視聴後お読みください>

 

最終回、すべての殺人事件に絡む犯人の姿が鮮やかに浮かびあがり、容疑者を追う刑事(松下洸平)、その一方で長年かけて開発した新薬の承認を得て喜びに沸き立つ製薬会社の梨央(吉高由里子)。緊迫(&悲壮)と高揚(&歓喜)を対比した演出が素晴らしく、見る者は容疑者にいっそう同情の心を寄せていく。

そう、容疑者とは製薬会社の敏腕顧問弁護士で、会社と創業家の梨央やその母親(薬師丸ひろ子)を支え続けてきた加瀬(井浦新)。彼がずっと近くで見守り続けた最愛の人、梨央やその弟(高橋文哉)を守るために犯してしまった罪。

3つの事件すべて、彼にとってはまるで“もらい事故”みたいなものだ。彼を責めるにはあまりにも酷な気がする。だからか、逮捕されずに姿を消すという終わり方になんだか納得した。彼が望んだこと、梨央姉弟の幸せを確認し、それを大輝(松下洸平)に託したことで彼は満足したのだろうか・・。

と終わってみれば、加瀬の表情、加瀬の心の奥、加瀬のこれまでの言動ばかりを思い出している。

井浦新、最高やったわ。

松下洸平も相当頑張っていた。素朴で無骨で、でも優しくて、キャラとしてもかなりカッコ良かった。絶対ファンは増えたと思う。だけど最終話で、加瀬・井浦新に持っていかれた感が否めんなー。(私的に)

最後に、製薬会社の不正と殺人事件に絡む梨央をなんとしても糾弾しようとした、雑誌記者の橘(田中みな実)、ネットで叩かれていたのを見たけれど、私は田中みな実、良いと思ったよ。
特に最終話での彼女の最後のシーン。彼女自身が不幸な事件に遭い、人生が狂い、そこから立ち上がれなかった悲劇の人。前半はヤサグレ感で、後半は深い悲哀で魅せたと思う。欲を言えば多分精神を病んできていたはずで、そこに狂気が加わればとも思ったりもしたが、演出がそこまで求めなかったのかもしれない。最後の悲しい表情が今でも印象に残っている。

 

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久喜と過ごす冬の午前

いつものように速暖の前に陣取っていた久喜だが、陽だまりができる時間になった。久喜は陽だまりを追いかけて、自分でクッションを移動する。

しかし、速暖と陽だまりのダブルで焙られ、ついに熱くなったらしい。

寝床から脱出、陽だまりからも脱出した久喜。


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洗濯物の影が昭和っぽい。仕方ない、昭和生まれの私が干しているんだもの。

 

母の介護認定日

いきなり物騒な話だが、昨日父が「(老々介護していて)心中する人らの気持ちがわかる。お前らがいるからできんけど」と電話越しに言った。

最近、自分の体力もなくなってきているせいで時々気弱な発言をする父だが、たぶんまた母のトイレでうまく対処できず落ち込んだのだと思う。

 

前々回帰省した時の、父の沈んだ後ろ姿が目に浮かぶ。全部開け放たれた窓。暖かい秋の日だったけど、さすがに夕方に近づくと寒くなり、窓を閉めて気づいた臭い。父にトイレ用洗剤を渡したらあっけなくスッキリした。私が手袋を出してやる前に父がカーペットをタワシで擦っていた。

 

昨日の電話の発言は、また失敗して大変だったという話。オムツ換えの時だけでもヘルパーさんに来てもらえば、と言っても、自分が動ける間は断固頼まないという。その頑なさは、これまでいろんな方向から懐柔したり、きつく言ったりしてきたがずっと変わらない。

挙句に(娘の私達が)遠くにいたら、何の助けにもならない。と久しぶりに恨み節が出た。

確かにそうだ。月1回帰省して、掃除して食事を作るくらいでは何の助けにもなっていない。

だからこそデイサービスが休みの時は、ショートステイも考えてみればと押し問答してみたが、人の助けは借らんと、とりつくしまがない。電話で言い合ってもらちが明かないと話題を変えたら、30秒後には父は悪態をついたことも忘れていた。

 

電話を切った後"心中"という言葉が頭から離れず、もう一度電話しようと思ったが、もう寝ている時間だったりで、電話にでないとまた不安になるし、今どうにもならないことをくよくよ考えまいと念じた。(翌朝、電話でしたらいつもの父だった。)

 

毎回帰る度に衰えていく両親を確認するだけで、少しでも二人のQLを向上する手だても講じることが出来ず帰途につく。時間の遣り繰りをして、夫と娘に少しだけ不自由をかけて、私のしていることは意味があるのかなと思う。

どんよりしながら郷里の駅に降り立ち、バスに乗ったら、今日は運賃無料の日だった。(「路線バス運賃無料DAY」だって!初めて遭遇した)

実家に運んでくれるバスが応援してくれているみたいだ。母の介護認定で帰省した今日、一頑張りしてこようと思う。