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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

親切でいること (- 大谷翔平選手)

先日、病院の帰りに、帰りのバス停がわからず病院前の介護ショップで聞いた。教えられた所でバスでを待っていると、教えてくれたお兄さんが、バスは病院の玄関に回って来るはずだから、外は暑いから病院に行くよう、わざわざ炎天下の中言いに出て来てくれた。いや、本当にその日は37度を記録していて、その親切は外にいる者にとってありがたかった。というか何て親切なんだろうと思った。

親切な行動とは、相手のために自分がちよっと面倒だったり、手間だったりすることをやることだと思う。手間に思っても、また思わなくても、関係なく行動することだと思う。

そして親切にされた人はその手間を認識した時、親切にされたと自覚する。かつ有り難いと思った時、次は誰がに自分も親切にしようと思うものだ。

 

さて、メジャーリーグで活躍中の大谷翔平選手の美談をよくネットでみる。先日もたまたま見た日刊スポーツの記事に、"ファンへの神対応"というのが載っていたけど、この人も親切なんだろうなと思った。ファンに投げたボールが壁に当たって届かなくても、ほとんどのメジャーリーガーは放っておくらしいのだが、大谷はわざわざ拾いに行ってファンに渡したそうだ。それがアメリカ人には、感激するファンサービスになったらしいのだが、親切な人なら、普通に考えて自分があげたボールが届かなかったら、拾ってあげるんじゃないかな。確かに拾いにいく手間はあるけど、それを時間がない、面倒くさいといってやらないか、やるか、なのだと思う。

 

盗まない(傷つけない)、嘘をつかない(正直であれ)等、人としてあるべき行動を表す言葉はいくつかあるけど、(人に)親切であることは心持ちに少しでも余裕がないと出来ないことだ。お金持ちでなくても、政治家でなくても、宗教家でなくても、一般市民の私としては、人のために、少しの手間を割けられる人になりたいと思う。これをどんな心持の時にもできるというのは、今考えても至難と思われる。

大谷選手がすごいのは、今回のような話がそこここで聞かれることだ。大舞台の最中や前後でありながら、だいたい心持ちを平常に保っていることではないだろうか。若干23歳の青年が、だ。やはり彼から目が離せないし、応援してしまうよね。