はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「スカーレット」- 11

これは、私の勝手な妄想(願望)なのかもしれないが。

違うで!喜美子。

「僕は喜美子を陶芸家ではなく、女と思っている」という八郎の言葉は、

〇「僕は喜美子を陶芸家ではなく、(僕の愛する守るべき)女と思っている」が本心で、

✖「僕は喜美子を(僕と張り合う)陶芸家ではなく、(僕を支えてくれる)女(奥さ
 ん)と思っている」ではないと思うのよ。

 

しかし、この自分が書いた(  )付きの言葉さえ、少し考えるだけでも空虚なものになってくる。

つまり、ぼくの”愛すべき守るべき可愛い”と思った時点で、自分より弱い者へに対する憐憫の情に他ならないからだ。いやいや、女ですから、愛されてなんぼのもの、守られてなんぼのものですやん。と思う一方で、そうじゃないだろう!ともう一人の私が声を張り上げている。八郎は喜美子という陶芸家(才能)を、結局認めていないわけだよね。いや、早くから気づいて認めているけれど、やっぱりそれは自分の手の中にいる喜美子でなければだめなのだよね。

 

ああ、深い。朝ドラにしてここまで深いと疲れる。

どんちゃんの言い争いこそないけれど、この夫婦の芯のところでの男女の闘いがリアルで怖すぎる。次回、私の願望はかなうのだろうか。