私だけではないと思うのだけれど、多くの視聴者が最終週、主人公喜美子(戸田恵梨香)の息子、武志(伊藤健太郎)が白血病で亡くなるところまで描くのか?だとするといつなのか?どういう死にざまなのか?最終回まで残り一桁の日数になってからは、日、1日1日、彼が死ぬのを見たいような見たくないような、ワクワクとはほど遠い・・・そんな複雑な覚悟と興味を持ってテレビの前に座っているのではないか。
そして、ここにきて、もはや”死にゆく君”本人寄りの感情ではなく、喜美子を中心とした、残される周りの人たち、友人、恋人、オバサン、オジサン、彼より年上の人々寄り(実際年上だし)の感情でしか見ておらず、連日号泣こそしないが、すーっと静かな涙が頬を伝うのが止まらない。
母親の喜美子が涙を流さない分、視聴者は彼女の心を自分の心に投影して、代わりに膨大な涙を生成してしまうのだ。
1日1日と、少しずつ確実に病気は進行し、本人も周りもその衰弱していく体をわかっている。それなのに喜美子は、その死にゆく者に”安寧”よりも”希望”という闘志を与え続ける。自分にしかできない何かを”創る”、”創れる”、”創れ”という。
一度、本人が満足するものができて、父親の八郎(松下洸平)はべた褒めし、「よくやった、よくやった」と言ったのだが、それは死への手向けの言葉だった。(もちろん八郎にそんな自覚ない。」)
しかし、喜美子は違う。もっと作れると発破をかける。休まず制作しろと。
病人にオニのようだけれど、同時に戸田恵梨香・喜美子の笑顔は、もはや菩薩にも見えるのだった。そして、そんな強い母親にはなれない、と思いつつも、そのようにしか生きられない強い女を、尊敬と憧れと、そして大いなる憐憫の心で最後まで見守ってしまう。