< script data-ad-client="ca-pub-5086079268044038" async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js">

はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「フェードル」-3 : 俳優の声について

17世紀、ギリシャ悲劇をもとにフランスの劇作家ジャン・ラシーヌが創り上げた本作について、フランス文学や演劇論についてまるで素人の私が感想を書こうにもハードルが高すぎた。なぜなら正直一度観ただけでは理解できなかったから。
そこで今回は約2時間、シアターコクーンの劇場で生の俳優たちと同じ空間を過ごした自分が感じたことをシンプルに書き留めておこうと思う。

 

公式サイトの作品紹介にもあるのだが、それはやはり「声」だった。
冒頭から登場する林遣都(=イッポリット)の声が、それまでテレビドラマや映画で耳にしていた彼の声とは明らかに違っていた。腹の底から響く、舞台の人(俳優)の声。ボイストレーニングしたとか雑誌のインタビューで目にしたけれど、その成果は一目瞭然、全身を耳にして聴いた。(※)

義理の息子イッポリットに道ならぬ恋をしたフェードルの大竹しのぶときたら、いったい何種類の声も持っているのだろう!と驚き以外の何物でもなかった。

物語2時間の間にものすごく揺れ動き、真逆に振れる感情・激情をあらゆる声色を駆使して表現していた。展開が早いし、膨大な台詞から物語の背景を理解しながら、登場人物の感情の変化に追い付くのは大変だが、大竹しのぶの声のトーンの変化は、それについていくのを助けてくれたような気がする。

そして、乳母役のキムラ緑子との掛け合いがほんと面白く素晴らしかった。この二人は初演でも同じ役だったというのもあるのだろうか。深刻な会話なのに笑える。素晴らしい二人の間合い!

そして、行方不明になって死んだという噂まで流れたのに、ひょっこり帰ってくる王(フェードルの夫、イッポリットの父)の谷田歩の圧倒的存在感!彼が自分を裏切った(誤解だか)息子、イッポリットを糾弾するシーンはビリビリとした恐怖を感じた。イッポリットは父が息子の自分に向けた剣の横を通り、国を去るのだが見ている方はイッポリットが剣に刺されたように見える、ああ、これがラストの悲劇を物語っていたのだと後から思った。

イッポリットの養育係の酒向芳もそうだけれど、舞台に手練れた俳優たちの低く静かな声で語られる台詞が深く心に響く。物語の最後の台詞になる、谷田歩(王)の台詞しかり。哀しみと後悔と、そして王たる者の強さと。

 

人間のもつ激情、普通の人なら日常で表現しないような激しい感情をこれでもかと見せてくれるのが演劇。こんな狂気の沙汰にはなりたくないけれど、舞台上の俳優が狂っていく様はまさに見物!見世物。俳優が素晴らしければ素晴らしいほど、観る方も高揚する、その奇跡の時間を持てたことに感謝する。

 

(※)林遣都の声についてファンとしては復習(?)しておかなきゃと思い、録画しておいた「風博士」「熱帯樹」をもう一度観た。やはり、その二つの舞台の時と違う気がした。
時を同じくしてテレビドラマで「京都人の密かな愉しみ Blue修行中 燃える秋」が放送され、遣都の声をナレーションでも聴いた。本シリーズを通しての林遣都のナレーションは特に好きだ。心の琴線に触れる声。京言葉が滋賀弁に近いからだろうか、しっくりくる。特に「祇園さんの来はる夏(1)粽(ちまき)ものがたり編」の亡くなった江波杏子さんを語る声に心が震えたことがある。
以上、蛇足ですが追記させていただきました。

 

[http://
男性芸能人・俳優ランキング:title]