大千秋楽を迎えた2月21日の夕方から2月28日まで、舞台を動画配信で視聴できるので、早速購入・視聴。(動画配信の詳しくはこちら)
2時間の舞台、一度生を観ているのだし途中で止めてまた続きを観てもいいかと思って午後10時過ぎに登録・購入したのだが、何のことはない、ノンストップで一挙に2時間食い入るように観てしまった!やはりそれほど面白かった。
舞台を観た時は、後方の席だったので細かい表情まではわからなかったが、映像ではそれらがつぶさにわかる。舞台では声色や全身のフォルム、動きを楽しんだけれど、映像ではアップに映し出される俳優の表情を楽しめた。
(改めて書くが)ストーリーはいたってシンプル。
道ならぬ恋、または障害の大きい恋だからこそ、余計に燃え上がる激情に翻弄される男女の様、それを契機に起こる思い違いや誤解が招く悲劇。恋の障害となるのが、敵国の娘だったり、神々まで遡る血筋がもたらすプライドや妄信だったりで、それを物語る膨大な台詞の量に、俳優の細かい表現が飲み込まれていきがちだ。少なくとも生で観ていた時は、初見でしかも観劇者としても未熟な私にとっては読み取れなかった。しかし、大竹しのぶは流石だ。舞台、生で観た時も細かい感情の変化、激情の機微が全く台詞に負けていなかった。鬼にも無垢な少女にもなる表情、声色。そして、恋する者が見せる滑稽を存分に魅せてくれた。
そう。この恋する者の”滑稽”を配信動画では随所で感じることができた。
大竹しのぶフェードルが恋する義理の息子イッポリット(林遣都)に、もしかして脈があるかもしれないと思い乳母のエノーヌ(キムラ緑子)を使いを出すやりとり。私が鑑賞した1月26日の舞台では会場から笑いが起こった。私も笑った。それまで恋の炎にもんどりうって苦しんでいたのに、一たび相手が自分の手中に落ちる可能性があると思いきや急に恋の策士と化す。そのしたたかな間と小狡い娘のような大竹しのぶの顔がとてもチャーミングだった。
恋する者がうっかりその胸の内を告白してしまうシーンは、イッポリットが敵の王族の娘で囚われての身のアリシー(瀬戸さおり)に、またフェードルがイッポリットに、と場面で二つあった。「やっちまった!(言っちまった)」の、イッポリット遣都の狼狽と必死に愛を告げる様、朗々と愛していることを正当化して語るフェードルしのぶの悲壮はこの芝居の大きな見どころだと思う。この二つのシーン、好きだな。大竹しのぶの台詞回しは最高に面白いし、林遣都と瀬戸さおりの真っすぐで高貴すぎる心と体の触れあいも清くて美しい。
それにしても、まるで劇伴(劇中の音楽)のごとく修飾語でまぶされた台詞を吐きながら細かい感情を表現することの何たる至難。しかし観る方は何度観返しても発見がある!
舞台の端に佇んでいるだけで、王子の養育係の酒向芳。座っているだけで王・テゼの谷田歩。全編嘆き、悲しみ、慈しむフェードルの乳母のキムラ緑子。
ブラボー!としか言いようのない俳優たちによる、素晴らしい舞台。
28日の夜中まで視聴(鑑賞)できる。何度観返すことができるかな。
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