鶴瓶演じる、村で唯一の診療所の医者、伊野は”神さん”(神様より親しみを込めて”神さん”)みたいな存在だったのだ。
ラストシーンで号泣して、その後何度も映画のシーンを反芻しながら至った私の考えだ。
神さんは信じる者にしか見えず、信じる者には救いになる。しかし信じない者には、存在すらせず見えることもない。
無医村だった村に村長が連れてきた伊野先生(笑福亭鶴瓶)は、外科、内科を問わず患者を診て、診療所に来れないお年寄りは訪問して薬を処方、時には看取りまでする。親しみやすく村人の絶大な信頼を得ていた伊野だが、一人暮らしの老女(八千草薫)に癌が見つかり、都会で医師として働く老女の娘(井川遥)に母親は”胃潰瘍である”と説明した日に失踪する。
村長の依頼で彼の行方を捜し始めた警察だが、伊野という男の本当の素性を知っている者はおらず、実は医師免許も持っていなかったことが判明する。映画はその事実が明らかになる中、3年半もその村で偽医者として地域の医療を担った伊野の日々が明かされていく。
一緒に働いていた看護師(余貴美子)、研修医(瑛太)は、なぜ気が付かなかったのか。
最も圧巻だったシーンは、緊急で運ばれてきて肺が破れて空気が体内に漏れている患者を、元救命センターで勤務したことのある看護師(余)が伊野に指示して応急処置をしたところだ。
「(看護師の)私はできないから、先生、早くっ!」
今処置しなければ手遅れになる、と器具を伊野に差し出す看護師。注射、胃カメラまでも取り扱っていたが、知らない病名、初めての器具を差し出され動揺、逡巡する伊野の様。額の大粒の汗、大きな表情の変化こそないが、この場から逃げ出したい鶴瓶と、死にかけた患者を前に必死の形相の余のやりとりが、(見ているこちらは)彼が医師免許を持っていないことが分かっているだけに、本当に怖かった。
しかし終わってみればその処置は的確であり、伊野は周囲からの信頼をより厚くすることになる。
伊野を医者にしたのは、周囲の期待と”圧”だった。
伊野は、村人が望むように患者を扱った。処置してほしいと言えばそうし、薬が欲しいと言えば処方した。(ただし、多めの薬の処方は村に唯一足を運ぶ医薬品メーカーの営業(香川照之)と結託していたようだが)
蘇生のための心臓マッサージも家族が望まないならそっと手を引いた。
偽医者に体を任せ、処方をありがたがった村人は彼が偽物だったとわかり、手のひらを返したように沈黙した。
伊野の、過疎地での地域医療の在り方を崇拝した研修医も、自分の目が節穴であることを認めたくなく、村への赴任を辞めて実家の医院を継いだようだ。
娘に迷惑をかけたくなく、伊野の元で”胃潰瘍の”治療を望んだ老女は「先生は何もしてくれなかった。でも先生に診てもらうと良くなった気になった」と語った後、娘の勤める病院へ入院した。余命1年もないと伊野もわかっていた母親を診た娘は、伊野は母をどのように送っただろうか、とつぶやく。
伊野を追う警察(松重豊、岩松了)は、駅のホームで伊野と半径2メートルくらいの距離にいても気が付かない。彼らに、村で慕われた偽医者の姿は見えない。
ラストシーンについて書いてもいいだろうか。
入院している老女に、お茶を運んできた病院スタッフがいた。
白い作業服、帽子、マスクでおおわれていたが、紛れもなく伊野だった。
「どうぞ」「ありがとう」
伊野に気づいた老女の一瞬の驚きの顔とすぐその後の微笑み。(八千草薫ならでの老女なのに華憐な微笑!)これで話の全てが腑におちた。涙があふれた。
伊野は、村の皆が信じた”神さん”だったのだ。
西川美和監督にまたやられた1本だった。
そして鶴瓶以外、この伊野の役は想像できない。
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