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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「ドライブ・マイ・カー」(2021年):良くも悪くも村上春樹色のーこー!(濃厚)

3時間に及ぶ作品。映画を観たというよりも、文学小説を映像で観たという感じ。

 

冒頭の、物語の筋書きをしゃべりながら、主人公、家福(西島秀俊)とその妻、音(霧島れいか)のベッドシーン。2人の俳優の美しい姿態にはほれぼれしたけれど、なんでこんな退屈なシーンが続くんだ!とその時は思った。しかし観終わってみれば、セックスは本作の中で外せない一つの要素であった。しかも、”ドライブ・マイ・カー”は、ブルースの古い隠語で「性的関係を持つ」という意味があるそうなのだから、それぞれつながっているわけだ。

演出家で俳優でもある禍福は、愛車の中で音が演劇の登場人物の台詞をしゃべる録音を聴きながら舞台のことを考える習慣がある。後で語られることだが、音がセックスの最中に、脚本家として物語を生み出すのであれば、家福もまた、車を運転しながら音の声の台詞を聴き、戯曲のことを考えていて、音にとっての創作の源となるセックスと同等に、この”車を運転しながら(Drive my car)”というのが家福にとっての創造の源なのかしらん・・?と思い当たってしまった。(勝手にですが)

 

岡田将生演じる若手俳優、高槻(音の浮気相手でもあった)の、いつキレてもおかしくない様子の危うさと、家福の専属ドライバーとなるみさき(三浦透子)が無表情で語るの悲惨な過去に心がざわつき、音が亡くなってからの3時間弱は、あっという間だっように思う。
岡田将生は、クズみたいな若造を演らせるとピカいちだ。かなりのイケメンだけれど、神経質そうに見えるからかな。今回もそうなのかと思ったけれど、さにあらず。後半の車の中での長台詞は、急に中身のある(?)青年に変わり、びっくりした。

また、みさきが淡々と語る壮絶な過去は、村上春樹作品の「ノルウェイの森」のレイコさんを思い出した。(後でわかったが、映画版でレイコ役は霧島れいかだった!)不幸が幾重にも降りかかっているところが似ている。

 

フィクションなのだから、登場人物の背負うものが、自分の経験や身の回りで起こりそうなことではなく、かけ離れていてもいいし、むしろその中で普遍的な人間の情感を感じとるべきものだと思う。だけど、私にとっては家福、みさきの状況が私を含む私の周りの現実と離れすぎていて、今一つ感情移入できなかったというのが正直なところ。

西島秀俊の、日本アカデミー賞主演男優賞は納得。あそこまで感情を抑えた演技が続いた後の、感情の大放出、それに加えて劇中での演技は素晴らしかった。

 

劇中劇の意味深な台詞。どこまでが村上春樹で、どこからが、濱口竜介のオリジナルなのか、「ドライブ・マイ・カー」を読んでみたくなった。(アマゾンで”ハルキスト”のレビューを見て、読む前から萎えてしまったけれど、いつかトライします)

 

 



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