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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

昭和夫婦:映画のタイトルではありません

あまり家族のことは書かないのだけれど、先日可笑しいことがあったので後の笑いのネタに記録しておこうと思う。

家人と私のことだけれど、私のいう家人とは言うまでもなく夫のことだ。先ほど調べたら、昔は一家の主人以外を指す言葉で、基本的に夫には使えなかったらしい。しかし男女平等となった今では、家族の誰に対して使ってもOKとのこと。

そういういきさつを知らないまま、これまで私は夫のことをよく家人と書いてきたのだが、今後もそうさせていただこうと思う。

 

さて、家人は機嫌のいい時によく歌を口ずさむ。

口ずさむのはいいが、めちゃくちゃ古い、平成に近い昭和ではなく高度経済成長期、昭和ど真ん中によく聞いた歌であることが多い。

先日も、キッチンタイマーがピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ、としつこくなっていたら(料理の手が離せなくてすぐに止められなかった)、その音を聞きつけた家人が「てっ、ててて、てっ、ててて、てっ、ててて、てっ、ててて、じーんせいらくありゃ、くーもあるさー」とく口ずさんでいた。「水戸黄門」のテーマ曲である。

突然の水戸黄門に、なんで?と思ったが、そのキッチンタイマーのリズムが水戸黄門の曲を思い起こさせたとしか思いあたらない。水戸黄門なんてもう何十年も見ていないのに、どんな思考回路でそこに行きつくんじゃ!?と思ったが、ふと思い出した。ついこの間、私も散歩がてら買い物に行く途中ずんずん歩いていた時、この歌が頭を回っていたのだ。

そして、毎回歌の途中である疑問にぶち当たり止まってしまう(調べたら私の中で歌詞が1番と2番がごちゃ混ぜになっていたので以下、悪しからずです)

「人生楽ありゃ苦もあるさ

涙の後には虹も出る

後から来たのに追い越され・・」

まで歌って、後から来たのに追い越されるのは当たり前では?と思うのだ。この疑問は、幼い時、オンタイムで祖父母と一緒に水戸黄門を見ていた時からずっと私の頭の中にあった。ずっと疑問だったせいで、本当は2番の歌詞なのに、私は勝手に1番に入れて歌っていたくらいだ。

今考えれば、「後から来たのに」の「の」は、「者」という意味なのだと思う。「のに」という逆接の言葉ではなく。

私が自分の歩くリズムで水戸黄門の歌を思いだしたのだから、家人がキッチンタイマーの音で思い出すのも当たり前だと思った。そして、きっと彼も幼い時、日曜日の夜、家族と一緒に「水戸黄門」を見たくちなのだろうと思う。当時、テレビは家族の真ん中にあったよねえ。

昭和生まれ昭和育ちの私たち夫婦。この話も何が可笑しいのか理解できない人もいるかもしれないけれど、「水戸黄門」のテーマ曲を容易に口ずさめること自体、なんだか私には可笑しく思えてしまった。

 

こんな動画を見つけたので、ご参考まで。
歴代の黄門様、助さん、格さんの歴も見られます。(全部ではありません)


www.youtube.com