はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「しゃぼん玉」(2017)

林遣都の演技の振れ幅を見たくて、昨年公開の「しゃぼん玉」を鑑賞。恥ずかしながら、この作品の存在さえ知らなかった。いかに私が、遣都ノーマークだったかを思い知る。

 

さて今度は、親の愛を知らず育ち、通り魔をはたらき、誤って人を刺して逃亡中の犯人という役。

美しい顔に無精ひげとぼさぼさの頭、こけた頬。警戒心と猜疑心にぎらつく大きな目。粗野で短気で自分のことしか考えない様子がはまっていた。

しかし、逃亡中に家に転がり込んだばあちゃん(市原悦子)は、彼のことを「坊はええ子や」と言い続ける。

人はいい子であることを期待されているのがわかると、むやみに悪いことはできなのだ。

その時必要とされたから、ばあちゃんを助けた。宮崎の山間に一人住む、隙だらけのばあちゃんとの生活で、脅して金品をとることも、またスクーターを盗んで山を下りることもできる。何度もワルの本性が出そうになったが、踏みとどまる。そして、被害者側の傷を知り、初めて自分の犯した罪を自覚する・・。

 

宮崎県北部の山々が本当に美しい。その絶景に市原悦子の声。もう、「まんが日本むかし話」の世界でしかない。そういえば、「・・・むかし話」のオープニングの歌は「坊やー、良い子だねんねしな」ではないか!

それは冗談にしても、市原悦子という女優さんが本当に素晴らしかった。このばあちゃんのところに帰ってくるために、青年は逃げることを止めた。

 

どんなに愛を知らずに育った人間でも、一度でも自分が人に必要とされたと感じた時、眠っていた「善」が無意識に覚醒しているのだ。その後、無償でご飯を食べさせ続けてくれる人、本当に叱ってくれる人、ほめてくれる人、感謝してくれる人々と触れ合い、その場しのぎで逃げることだけ考え、ワルでしかなかった青年が変わっていく。

 

3年後を映したラスト。遣都の精悍な顔。美しい山間の夕暮れに灯りのついた一軒家。人間の性善説を改めて噛みしめながら、エンディング、秦基博のハスキーな歌声(「アイ(弾き語りVersion)」が心に染みた。

Ⓒ2016「しゃぼん玉」製作委員会]

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