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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「共喰い」(2013年)

当時19歳だった菅田将暉があの濡れ場を演じられることがすごい。

良心を持ち合わせた普通の高校生なはずなのに、旺盛な性欲と、それが父親譲りであり、しかも性暴力の激しい父親の性癖までも受け継いでいるのではないかと苦悩する青年の役。

実は、芥川賞を受賞した原作の小説を「文芸春秋」で読んでいた。芥川賞の受賞が決定した際、作者の田中慎弥が「もらってやる」みたいなことを言ったことが話題になったこともあって。しかし、小説は狂気に満ちた性癖が描かれ、それにおびえながらもどうにもならない血筋と葛藤する主人公が救いようがなく、読後感が良くなかった。なので菅田将暉が主演していると知ってからもなかなか手に取れなかった映画だった。

しかし、映画は小説よりもよほど救いがあり、暗いばかりではなかった気がする。(というか、小説の読み込みが甘いのは私の読解力が乏しいせいだ。)

どうしようもない性癖を持つ父親、円(光石研)だが、普段の父親としての彼は実はそんなに悪い人間ではないのではないか、その性癖故に父親から逃げた母親、仁子さん(田中裕子)が、円を殺すべきだったと思いながらも、暴力を振るう時の円の目が、左手首のない自分をさげすむものはないとわかっていたこと、息子の遠馬(菅田将暉)が、ウナギを川で釣るのは、川の側で魚屋を営む母親とウナギ釣りに誘う父親と3人でいられるからと言ったことなど、複雑な境遇の中でも家族のつながりというものを感じることができたから。

 

ここで描れるセックスはイコール暴力であり、女にとっては痛いだけの行為だ。なので濡れ場というよりも、暴力シーンともとれる。ラストで、それまで女にとって痛いだけの、若い遠馬と恋人とのセックスが、男が暴力を振るうかもしれないという性癖を乗り越えた二人にとっての新しい形、そして女にとって気持ちいいものへと変化していたことが救いのようにも見えた。

菅田将暉、10代にして若い雄の苦悩と、衝動、甘え、身勝手さ、優しさ、そういったもの全てを自然に演じられるという怪物。やっぱり追いかけずにはいられない。

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