信友直子監督が広島県呉市で、老々介護をしている両親を撮ったドキュメンタリー作品。
岡山出身の私にとっては、ほぼ同じ方言に聞こえる広島弁。
母親が認知症を発症し、父親が介護しているという状況。
1作目は、まるで岡山の自分の両親を見ているようだった。
ただし、90歳を過ぎた信友のお父さんとは違い、私の父は物分かりが良くない。そして娘の私も、両親にとって自慢の娘ではないと思う・・・。
続編の「おかえり、お母さん」のほうは、ちょうど2か月前から入院している、私の母の今後を見ているようだった。映像の中で信友ご夫妻が経験する辛さや寂しさは、そっくりそのまま私の両親が今後経験することなのだと、家族として予行練習しているような感覚だった。
病気治療後、療養型の病院に転院する際、ほんのひと時だけれど、信友父娘は自宅にお母さんを連れて帰った。その時、それまで反応が薄かったお母さんが、声をあげて泣くのを見た時はこちらも込み上げてしまった。そして、私もできるならば母を一時でも家に連れて帰ってあげたいと思った。
お母さんが入院した後、毎日病院に面会に行くことが、お父さんの日課になったことも実家の父と同じだ。
母の病院の場合、面会時間は30分程度となっているが、父は決められた面会時間の最初から終わりまで母のベッドの横にいた。病院スタッフも、特に話をするでもなく、ただそこにいる、というので大目に見てくれたようだが、リハビリが功を奏し母の嚥下機能が少し改善、会話も少しだけ続くようになったころ、父が食いしん坊の母に、ブドウをそっとあげていたことがバレ、以来30分が経過するとスタッフに帰宅を促されるようになった。
父の声には元気がなかった。たぶんブドウの件は、こっぴどく注意されただろう。(私にも病院から電話があった)面会の30分間に、母が目をつぶり声をかけても起きなかったと電話越しに言った父に同情した。
病院のルールを守れない、そして嚥下リハビリ中の母にとっては致命的な行為をした父の自業自得だとわかってはいるが、やはり父がかわいそうだった。
話を映画に戻すが、90歳を過ぎたお父さんが、腰が曲がった姿勢でスーパーに歩いて行くシーンがある。途中じっと立ち止まって休んで、また歩き出す。その姿が実家の父と重なり何とも言えない気持ちになった。
老いた両親にカメラを向ける信友監督の冷静な視線が優しく、ご両親への感謝と尊敬の念に溢れている。そして60年連れ添ったご夫婦の、”愛情”と簡単には言えない、関係性にひれ伏すしかない。
人生100年時代。長生きについて”リスク”管理、”備え”をしなければと思いつつ、一方で病気や衰えた体を想像し、そんなに長生きしたくないと思うこともある。だけど実際、簡単に死ぬことは難しい。
本作は、人生の終わりに経験するかもしれない”試練”について、それも生きることの一部だと思わせてくれた。鑑賞後に残ったはの寂しい感情ではなく、温かい勇気だった。
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