冒頭、主人公3人の黒人女性が勤務先のNASAに向かう途中、車が故障して道路わきに止まっているところへ警察官がやってくる。
警察官が来ると知り、厄介なことを避けようと3人は丁寧かつ従順に警察官の質問に答える・・・。
この冒頭シーンがとても象徴的だ。つまり、アメリカの白人警官の黒人を見る目が、半分は何らかの犯罪の容疑者として見ているということ。それがわかっていて彼女たちは、疑いが向けられないように対応したのだ。そして、その白人警官の態度は今現在でもアメリカの警察官のDNAに刷り込まれているらしい。(2020年のジョージ・フロイドの悲劇は、日本人の記憶のかなたかもしれないけれど)
本作はNASAの有人飛行成功の影に、3人の黒人女性の活躍があった事実を活写しており、差別をはねのけ彼女たちが活躍する様は爽快だった。
1960年代、女性であることですでにマイノリティ、その上黒人であることで通う学校、使うトイレ、服装に至るまで女性は、黒人は、、と規定されていたことに驚く。見ている時、彼女たちの対極にいる、男性・白人を思わず罵倒したくなったくらいだ。
映画の主人公たちは、黒人女性だけれど”才能”というギフトを授かっていた。不屈の精神で自らの道を開いていけた彼女たちには賞賛しかないけれど、才能を持っていないマイノリティたちはどうしたらいいのだろう、とふと思った。
そこで思い出したが、以前いた会社で参加した6月19日のJuneteeth(ジューンティーンス)のイベントだ。黒人解放を祝う日として最近(2021年)アメリカで制定された祝日だが、アメリカで行われた会社のイベントにオンラインで参加した際、スピーカーのセネターの女性のスピーチに心動かされた。内容をすべて理解したわけではないのだが、強い意志と脈々と彼女が家族から引き継いできた”差別される側”の怒り(怨念とは違うと思う)が、ネットの向こうから伝わってきた。
心の底からの訴え、その訴えに歴史的背景があり、個人のファミリーヒストリー(家族の記憶)が重なり熱を帯びる時、黒人差別とはあまり縁のない日本人の私にも伝わるものがあるのだと思う。(そう書いて、今現在目にしているイスラエルとパレスチナの抗争に終わりが見えないことを改めて痛感してしまう・・)
話が映画から逸れてしまったが、黒人女性のサクセスストーリーを描きながらも、その苛烈な黒人差別(しかも当時は差別することが当たり前で、差別する側にあまり悪気はないっていうのも考えさせられるところ。自分の胸に手を当てて考える必要ありです)を改めて知るには観ておいて損はない作品。
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