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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」:草彅剛の出演作品にハズレなし

ミステリー X ヒューマン・ドラマは好きなジャンル。しかも草彅剛主演とのことで少し前に前後編を視聴した。

コーダ:CODA(Children Of Deaf Adults)とは、両親がろう者で耳の聴こえる子どものことを指す。コーダは両親に代わって社会生活をする上で両親の通訳をすることになる。そういう運命を背負った子どもだ。

本作ではコーダの葛藤や成長というよりは、成人したコーダの荒井尚人(草彅剛)が手話通訳という仕事を通じてろう者(マイノリティ)が犯罪に関わった、あるいは巻き込まれた時の真実の伝え方、裁き方の難しさを描いていた。

あるろう者が犯した過去の殺人事件と、新たな殺人事件の繋がりを調べるうちに、冤罪の疑いと謎が浮かんでくる。元刑事の荒井尚人は、ろう者の元犯罪者や被疑者と関わりながら真実を追求していくわけだが、その中でコーダとして育った自分の、家族の中で一人だけ聞こえる者としての疎外感や葛藤、哀しみを思い出す。尚人は仕事、結婚に失敗していたが、どこかで人に心を開けないでいたのだ・・・

 

ドラマで登場するろう者や障がい者は、弱い者、庇護されるべき人、あるいは、明るくて前向きでメンタル強力のどちらかに寄って描かれがちだと思う。ちなみに、自分が見てきたものはそうだった。だからろう者が犯罪を犯すとか、ろう者が性格悪いとか、今まで思い及ばなかった。
しかし、聞こえないというだけでろう者も同じ人間。性格のいい人もいれば身勝手だったり高圧的だったりする人もいるのだ。当たり前のことだけれど、そのことを本作は気づかせてくれた。
そして、それを分かっていながら、障がいを持つ人を同じ土俵に上げないで取り調べたり、裁いたりしている可能性があることの恐ろしさを知った。

尚人は手話が丁寧できれいだとほめられていた。手話も言葉なのだから、きれいな手話もあれば、汚い手話もあるのだと、ここでも気づきが。
草彅剛は、流れるようなきれいな手話をやらなければいけなかったわけで、それがどこまで完璧かなど私にわかる由もないけれど、尚人の真面目で誠実な人柄が出ているものだったのだと思う。そしてコーダとして生きてきた強さみたいなものも草彅の演技から伝わった。

 

ブログの副題の”草彅剛の出演作品にハズレなし”だが、あくまで私が見たものの中でです。振り返れば「ホテルビーナス」(2004年)というたまたま出張先で観た映画に草彅剛が出ていて、全編韓国語、洒落た雰囲気の優しい映画だったという記憶がある。そこからだろうか、結構彼の出演作を観ている。(もちろん全部ではないです)

 

前編「記憶の中の少女」

明日、NHKで手話版が放送されるようです。

www.nhk.jp

 

 

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