あれから役所広司演じる平山の日常を時々思い出す。そして、彼が五感で入ってくるものをとても大切にしているということに気づく。
朝、近所のおばあさんが道路を掃く音で目を覚ます
家を出るときにまず仰ぎ見る空
仕事に行くときに車で流すカセットテープの曲
お昼休みに見上げた木漏れ日の光の変化
彼の動作は毎日同じだが、同じ空、同じ光、同じ音はなく、それを感じる自分もまた日々新しいのではないか。
話変わるが、昨年ぐらいからAIやChatGPTが話題になり、仕事や生活にその技術は少しずつ浸透してきている。人口減少に伴う労働力不足をAIが埋める・・いや、それだけにとどまらずAIは人の仕事を奪うのでは?といった議論も出ている中、NHKの「フロンティア」という番組で「AI 究極の知能への挑戦」というテーマの回を見た。
AIの学習が進んでいくと、知識の量、そしてそれを使った判断力、知恵みたいなものは人間を超える時がくる。しかし、科学者がAIの知識と人間の知識の違いは、肉体を伴った経験かどうかだと言っていた。AIがひたすら学び続けた結果導き出されるものと、生の肉体を持つ人間が導き出すものには違いがあり、そこに価値を見出す・・みたいな内容だったと思う。私がそのように受け取ったのかもしれないが、なんだか救われた気がした。
AIになくて人間にあるもの、肉体に備わる五感。見る、聴く、触れる、味わう、匂う・・ほかにも痛みやドキドキする鼓動etc..
「PERFECT DAYS」に戻るが、平山は静かで単調な日常の中で、彼の肉体、五感で感じることに熱心だった。そのことは彼の平板な日常をとても豊かにしていると思う。そして、それは多くの人が享受できるものだ。
今思い出したが、やたら銭湯のシーンがあり役所広司の裸、初老の男の裸をそんなに映さなくてもいいけど…と思ったのだが、感じることの続きに肉体があるってことなのかしらん。←たぶん考えすぎ
私たちは、つるっとした(「不適切にもほどがある!」で阿部サダヲが連呼していた)四角い薄いマシンと日々にらめっこし、使っている器官のほとんどが目と耳のみになりがちだけれど、液晶から目を外した時、感じるもの、匂うもの、触れるべきものにもっと注意深くあるべきなのだ。目から得た情報の毒、ほかにもふとした心のさざ波、そんなものを一瞬忘れさせてくれる光や風にきっと出会えるはず。
全然余談だけれど、「PERFECT DAYS」を観てからなぜかドラマ「火花」の「I See Reflections on Your Eyes」が頭を時々まわる。(劇中に流れる曲に雰囲気が似ている曲があるんだな)この曲だが主人公の焦燥感を歌っていることはさておいて、聴いているとなんだか心が落ち着く気がする。
余談ついでに「火花」の感想は、こちら
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