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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

Watch MY step!- 2

 階段で躓いて怪我をした日は、娘の誕生日だった。この春、受験をする娘の誕生日に、階段を"スベった"わけではないが、つまずくのもどーよ?と思った。しかし、待てよ。躓いたのは娘でなく私だ。怪我をしたのも娘でなく私だ。

娘でなくて良かった。このくらいの痛みや傷、娘に降りかかるくらいなら私が受けて本望だ!災いが娘の身代わりと考えれば、そんなに落ち込むこともないと思った。

ここで、そのような考えに至った自分を母親として誉めてあげたかった。(自画自賛)

しかしここで、あれっと思った。

今年、川崎大師に初詣に行った時買った"身代"御守のご利益はどこへ行った!?あれって持っている私に降りかかる災いの身代わりになってくれるんだよね?口の中を二針縫う程度の怪我ですんだのは、もっと酷いことになるのを神仏が代わってくれたからなのか?

むぅぅ~。(疑心暗鬼)

ま、いいか。

 

「麒麟がくる」-3

前半の闘いシーン、真っ赤な紅葉が敷き詰められた中庭での殺陣の画の美しいこと!武装した十兵衛(明智光秀=長谷川博己)と細川藤孝=眞島秀和の鮮やかな着物が映え、盟友となる2人り今後の伏線となった。

"ばえる"大河!

そしてうって変わって後半は、怪我をした十兵衛を案じ、慕い、美濃まで同行する駒(門脇麦)と十兵衛のやり取りが、いわゆる胸キュン過ぎて大河らしくなくていい。とすっかりその気になって見ていたら、ラスト、二人が肩を寄せあって夜を共にするシーンで、いきなり本来の大河に引き戻された。

―  何も艶っぽいことは起こらなかった。

つまり、十兵衛にムシロを使わせて自分は遠慮して焚き火の反対側にいた駒に、気になるから一緒にムシロに入るよう促した十兵衛。駒にしたらどういうこと?それって、それって?と期待と不安でドギマギしながら寄り添ったわけだけど、肩を引き寄せられただけで、駒の身の上話を少し聞き、駒の歌に安心して眠りにつく十兵衛!

この夜の時点で、十兵衛にとって駒は恋愛の対象では全くないのだ。もっと言えば、襲う対象でもない。自分が落ち着かないから駒も温かいところに引き寄せた。その言い方も、駒への優しさよりも身分の違いを感じさせる物言いだった。

駒の潤んだ瞳が切なかったな~。このシーン、女の横で安心して眠る十兵衛・長谷川博己の母性本能をくすぐる少年ぽい感じがジャブできた!いよいよ主役の本領発揮か。

次回、いよいよ染谷(将太)・信長が登場。この人の登場で一気に今年の暮れの最終回を想像して(もちろん勝手に!です)急に苦しくなった。

「スカーレット」-13

ええシーンでした。

八郎(松下洸平)と、武志(伊藤健太郎)の父子のシーン。伊藤健太郎と松下洸平の男の涙が、(男の泣きの演技をあまり歓迎しない私でも)すごくすごく染みた。

息子の武志は、仲のいい両親だと思っていた。父は地元では名の知れた陶芸作家で、母も父を手伝って二人で工房を切り盛りしている。― それがいつの間にか父は家を出ていき、最初は時々帰って来て遊んでくれたけど、知らないうちに離婚していて、父の足は遠退いていった。会いたい、聞いて欲しいこと、聞きたいこと、山のように積み重なり、父を心の中で求めながら、母親(喜美子=戸田恵梨香)の陶芸家としての成功を見守ってきた、武志。

喜美子の成功の影には、子供の我慢や夫、八郎との別れという犠牲があった。

少し前までの展開ては、喜美子がその事を思いしるシーンがたたみかけるように繰り返されたように思う。「喜美子は、一人になりました」というナレーションが、何度となくあった。

別に誰が悪いとかではない。"才能"の周りにはそれを享受するもの、それを避けるように去るものが必ず存在するということ。物事には光りと影があるということだが、光が強ければ強いほど、影はよりはっきりと黒く映るというものだ。

今回の朝ドラは、一人の女性が様々な苦労を乗り越え成功する展開の中で、失ったものをへのフォーカスがひときわ立っているような気がする。見ていて 次どうなる?と期待感はあるけど、少し"ずん"と腹の底に落ちる重さがある。

というわけで、来週は箸休め(?)。大野信作(林遣都)と百合子(福田麻由子)夫婦の、チャカチャカした微笑ましい夫婦の有り様が描かれるみたいです。

「HANAE MORI」の名刺入れ

森星(もりひかり)を最近よくテレビで見かける。

森英恵のお孫さんで、森泉の妹。母親がイタリア系アメリカ人で身長にも美しさにも恵まれモデルをしている。その天真爛漫な明るさでお茶の間を楽しくする彼女。

 

彼女とは全然関係ないのだけれど、先日業務内容の変更で名刺を作成することになった。出来上がった名刺を見て「名刺入れがあったほうがいいよね」と思った。自宅に帰って引き出しを開けてみたら、ありました!就職祝いに母がプレゼントしてくれ名刺入れ。紺色で蝶の刻印。開けたら「HANAE MORI」と右下にあるやつ。

就職祝いというこは、今から何年前のものだ?

使い始めて10年もしないうちに、違う名刺入れに変えたので、以後は引き出しの中で眠っていた代物だ。ここにきて再び日の目を見ることになった。ひどく傷んだ様子もないし、いつまで名刺を使うかもわからないので、ひとまずこれを使おう。

で、ふと思った。

母は、高校を出て電話交換手の仕事をしていた。当時、名刺なんて持っていなかっただろう。そもそも当時の職業婦人に名刺はあったのだろうか・・・?でも、なんで娘の就職祝いに名刺入れを買おうと思いついたのだろうか。

男女雇用機会均等法ができて数年後、母も私が総合職で就職したことを知っていたから、いずれ必要だと思ったのかしら。

母は、仕事をずっと続けたかったらしいが、次女の私が生まれて義母に2人の孫を看てみらうのが難しくなり、不本意ながら仕事を辞めたそうだ。そのせいか、私が仕事の愚痴を言ったあげく辞めようか、転職しようかなんてぼやくと、いつも「もう少し辛抱しなさい」と言ってきた。その母のおかげで、その母のせいで、私はなかなか仕事を辞める決意ができなかった覚えがある。

その母も、認知症がここ数か月でぐっと進んできた。毎日かける電話は、同じ会話の繰り返し。声を聴くだけでは本当の様子はわからない。それでもほぼ毎日、決まった時間に電話をする。それを日課とすることで、電話している時間だけでも母が母として正気でいられるような気がするから。

 

 

「麒麟がくる」-2

主役は明智十兵衛(光秀)の、長谷川博己です。改めて。

前回では吉田鋼太郎の松永久秀の迫力・知力・コミュ力(りょく)に魅せられ、場を持って行かれた。その前までは、本木雅弘演じる斎藤道三の狡猾と茶目っけに視聴者騒然となった。

しかし、当たり前と言えば当たり前なのだ。切れ者ではあるが、まだ何者でもない明智十兵衛。織田が頭角を表していないこの時期、群雄割拠の戦国時代に魅力的人物は数多いる。そんなに有名でないと思うのだが、前回は足利将軍側の細川藤孝を演じる眞島秀和の登場でも盛り上がった。

個人的には佐々木蔵之介の秀吉を早く見てみたい。いやあ、まだまだ主役を脅かす(?)登場人物がてんこ盛り。(さすがNHK。)

 

猜疑心と騙し合いが日常の戦国時代、「天地人」で上杉が掲げた「義」ではなく、何を信念として戦国を生き抜くのか見守っていきたい。なんと言っても番組オープニングの長谷川・光秀はホントにかっこ良いからね。主役は彼です!

Watch MY step!

一月ほど前に駅の階段で躓き、顔を打って口の中を切った。以来、階段を上り下りする際は、自分の足元を見るようにしている。まさにWatch my stepだ。

 

その日、階段でガツンと鈍い音がした時、歯が折れたと思った。血は一滴も下に落とさなかったけど、受けた手の平に鮮血。大丈夫ですか?という声がけに、大丈夫ですと応え、トイレに向かった、そっと口をゆすぎ、血を吐き出し、歯が付いていることを確認した。顔を打ったということで、頭が揺れた気がしたのだが、口の中の止血と消毒をしなければということで、歯医者に行った。

結果、二針縫うことに。頭が一瞬痛かったと言ったら、脳神経科で念のためCTを撮るよう勧められ、紹介状を持って急患扱いで救急病院へ徒歩で行った。

えらく大袈裟なことになったわけだが、その日午前中手当てに費やしたけど、午後からは普通に働けた。

その日を振り返り、ちょっとした可笑しさを記しておく。(人生、どんなに痛くても、どこかに可笑しみをみつけねば。)

駅のトイレで口を濯いだのだが、ペッと血を吐く自分、鏡の自分の顔を覗きこむ自分、それら一連が、いつか映画のワンシーンで観た、主人公(男)の様に似てないか?と思い、ちょっとカッコいいやん、と強打でショックを受けながらも悦に入ってやってたこと。あほやん、と思いながらも、怪我をも体験として楽しむ自分に酔っていた。(あほや)

この事故をきっかけに書きたいことが他にもあり、それはまた後日。

 

「君の名前で僕を呼んで」(2017年)

17歳の青年の一夏の恋の物語。

大人の男になる前の、蒼白く尖った細い体の中から突き上げる衝動。それを押さえるだけの、しつけられた品行と、聡明さからくる憂いのある黒い瞳。
撮影当時21歳くらいのティモシー・シャラメ、細マッチョでもないけれど、ほとんどのシーンが上半身裸の姿で登場、その姿だけですでに物語に必然性を持たせているところがすごい。

育ちのいい誰からも愛される青年、エリオ(ティモシー・シャラメ)の恋は、誰にも邪魔されることなく、そして否定それることなく静かに周囲から応援されていたように思う。衝動で抱いた女友達でさえ、彼の裏切りを許している。男性(オリヴァー=アーミー・ハマー)を慕う彼に対しては、別の女にとられるよりもよっぽど寛容になれるものなのだろうか。

繊細な心と美しい容姿を持つ青年と、魅力的で精力的なアメリカ人の青年との同性同士の恋愛ものだが、よく考えれば男女の物語としてありがちな設定。最初は反発し、そして近づいたり離れたり、北イタリアの美しい自然の中で愛を育む二人・・。特に大きな事件もなく、一夏を共に過ごした後別れがあり。。

ラストのティモシー・シャラメの泣き顔のシーンが結構長い。しかし、ずっと観ていられるほど切なくて美しい。 

君の名前で僕を呼んで [DVD]

君の名前で僕を呼んで [DVD]

  • 出版社/メーカー: Happinet
  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: DVD
 

本当に蛇足なのだけど、本作のティモシー・シャラメを観ていて、同じ年頃の同性を相手にでき、かつ希有な美しさを持っている点で一致する「パレード」の林遣都を思い出さずにはいられなかった。

あの年齢に共通の(蒼白い)細い体を惜しみなく披露している点も一緒だが、個人的には細マッチョな遣都の方が好きだな。

※「パレード」の渾身の感想はこちら。☟

www.mitsumame.work