画面いっぱいに広がり、かつ奥行きを感じる美しい日本の山河の風景。
その中にポツンと立つ男。山村と町を隔てる川で、人々を渡して生業を立てている船頭のトイチ(柄本明)だ。船を洗い、客が来るのを待つ。向こう岸を見る。たまに立ち寄る若者(村上虹郎)を歓迎する。
唐突だけれど、柄本明がこの物語の船頭に扮している様を観ていて、なんと”演じるということ”の崇高なこと!という考えが頭に浮かんだ。
柄本の表情や全身から、この船頭の孤独(孤高)、朴訥(足るを知っていること)、ささやかな幸せ、そんなものが一気にぼわーと立ち上がる。その画の中でその船頭の姿だけで、観る者に瞬時にそのイメージを届けられる、演じるということの、なんと尊いことか。俳優、柄本明は誰が何と言おうと名優だ。
川の上手には、年内には橋が完成しようとしていた。皆、トイチの船で川を渡りながら、橋がかかれば便利になる、と口々に言う。橋ができればトイチは無用の人となる。
川べりに住み無学を村の子供にバカにされても、これまで黙々と人々を向こう岸に渡してやってきた。誰かのためを考えて生きる人間になりたいという理想も持っている。しかし、時代は変わっていき、人々は便利を追い求める。橋ができ町との往来で村は活気づく。そして純朴だった人々も変わっていく。
橋の完成を待つ間、トイチは川を流れてきた傷ついた娘を助けた。娘と一緒にいることで暮らしぶりに変化はないが、自分以外の人間の温かさが小屋にある。
トイチが自ら物事を変えようとしたことはない。ただ、弱い者、変化から置き去りにされる者(自分を含む)を守ろうとしているだけだ。
それにしても、本作で一番衝撃的だったのは、終盤あまりにも様変わりした源三(村上虹郎)だ。トイチを慕っていた人懐っこい純朴な青年は、橋のおかげで経済活動が盛んになった村で、欲と野心に満ちた青年になった!
川べりを離れたあの船頭と娘は、きっとどこかでひっそりとささやかに暮らしていったに違いない。
最後に一つ忠告を。
美しい風景と共に流れる静かな川のような、穏やかなトイチの暮らしぶりをぼんやり味わっているとヤラレル。トイチの心の奥深いところで渦巻く憤怒のようなものが、時々映像に挟まれ、心臓を射抜かれるからだ。
オダギリジョーが長年あたためた脚本だという。美しいものの中に潜む恐ろしいものを見事に描いていると思った。
撮影監督はクリストファー・ドイル。香港映画「恋する惑星」(1994年、ウォン・カーウァイ監督)の撮影監督だった人。(トニー・レオンが出ていた、あの作品も素晴らしかった!)
衣装はワダエミ。(黒澤明監督「乱」でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞)
また、橋爪功、伊原剛志、永瀬正敏、浅野忠信、蒼井優、草笛光子、笹野高史と川を渡る人々として登場する俳優陣が実に豪華。マタギの親方で遺体としてしか登場しない細野晴臣に至っては、よくもまあOKしたな!だし。次長課長の河本準一、くっきー!に至るまで、オダギリジョーの業界内での人脈に驚いた。(いや、監督がキャストを集めるのか担当の人が集めるのか本当は知らないのだけれど)
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