2020年の晩秋に、渋谷の幡谷バス停で夜を過ごしていた女性が、男に頭を殴られて死亡した。亡くなった大林美佐子さん(64)は、短大時代には広島で劇団に所属し、女優になることが夢だったそうだ。
この事実に心を動かされ書かれた本作は、夢を追い続けながら生きることと、厳しい現実とのギャップ、そして夢を追い続けた果てに起こった悲劇に、社会は救いの手を差し伸べられなかったのか、という問いを投げる。
物語は殺されたホームレス、小夜子(まりあんぬ五反田)の高校時代の友人で、同じように歌手になるという夢を追い続けている貴子(五月女ナオミ)を軸に、被害に遭うまでの小夜子の状況、そして加害者の男、氷屋(中山アキヒロ)の精神的窮状までも描いていた。事件後、犯人が自殺したことや殺すつもりはなかったことなどが、加害者側にも、そうせざるを得なかった同情すべき事情があるように描かせたのだろうか。
貴子はデュオを組むナオト(もーし/ミュージシャン)に、アーティストになる夢をあきらめると告げられるのだが、ナオトと貴子のやり取りに、アコースティックギターの生演奏とナオトの歌が挿入される。それがすごく良かった。哀しく味わい深く、古文で言う”あはれ”そのもの。深いアコギの音が小さな芝居小屋を包み込み、ダイレクトに情感を揺さぶられた。夢を決してあきらめない貴子に対して、ナオトの声は静かで優しい。
Y劇場の公演を久しぶりに観たけれど、よく演劇とは違う畑のアーティストが参加していて、今回も、もーしの生演奏と歌、ラストの五月女ナオミの持ち歌の披露がとても印象的だった。(五月女は劇団所属の女優)
結局、貴子は夢を諦めずに生きると歌いあげたわけだけれど。
それにしても、ほとんどうつむき、スーツケースを引いている格好が多かった小夜子(まりあんぬ)が、夢を追いかけることを問う心の叫びは悲痛だった。短大を出て、最初はちゃんと東京で女優をめざしながら生活していたであろう小夜子が、路上生活者になったことを自己責任と片付けるのは簡単だけれど、生活保護や人の助けを拒む、拒まざるをえいな風潮が、この日本の社会にあるのも事実だ。
小夜子は夢を追い続けながら一生懸命働き、住む家を失っても、たぶん自分をホームレスとは認めていなかったのだと思う。
最期に、自分を”支援会の人”と言う、怪しい男(丸金太)。彼はたぶん、生活保護ビジネスをしている輩なのだろう。何度も登場して、小夜子を救うのかと最初は思ったが、その気配は最期までなかった。やけっぱちにも見える、ヘンテコな物言い、所作、破れかぶれの丸金太が全身から醸し出す怪しさを、なぜみんな笑わずに観られるのだろう。私は可笑しくて仕方なかった!