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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「鎌倉殿の13人」- 3:いよいよ伝説の源平合戦に突入

先週の上総広常(佐藤浩市)の無念の死といい、今日の木曾義仲(青木崇高)の死といい、無念の死を遂げた武士たちに”愛おしさ”を伴う憐憫を感じるのは私だけではないだろう。

それは、上総広常も木曽義仲も武力と戦の能力には長けていても、無学だったり京風のやり方を知らなかったり、粗野で朴訥な一面があったからだろう。そして忠義の心や、義を重んじる心もあった。だからこそ、彼らを死に追いやった源頼朝(大泉洋)の冷徹さを余計に感じる。
だんだん、本作では主役2番手のポジションにいる頼朝が悪ーい人に思えてきた。最初は、大泉洋ならでは可笑しさのほうが立っていたのになあ。
大泉はやっぱりうまい。同じ人物の中の、おかしさも冷徹さも、そして気弱さも大胆さも自在に演じ分ける。そして、当時の鎌倉殿(頼朝)が実に不安定な身分であり、そこから武家の頭領としての地位確立までの歩みが、いかに困難であったかを思い知る。

 

この回で木曽義仲が逝って、いよいよ”伝説の”源平合戦に突入していっているわけだが、ここからの主役は言うまでもなく源義経。こちらも菅田将暉が本領発揮、気が狂った勢いで軍神の権化を演じている。と言っても、私にはそんなに重くは映らないのだけれどね。狂気をはらんだ戦いの申し子は、どちらかというと何かに取り憑かれた童子のよう。戦うことへの純真と、戦う以上は勝利を全うするためのずる賢さと。
皆が知っている通り、義経の最後は忠義を尽くした兄に追われて果てるという悲惨が待っている。しかし本作、三谷幸喜の描く義経、そして菅田将暉の演じる義経は、そんな彼の運命に同情の余地すら与えない、何か”納得の”最後を見せてくれるような気がする。しばらく菅田・義経から目が離せない。

 

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「藤井風テレビ with シソンヌ・ ヒコロヒー」:テレ朝さん、こんな番組を作ってくれてありがとう

「MUSICA」の(渾身の!!)藤井風特集を食い入るように読んだ先週、藤井風が初の冠番組!というニュースが飛び込んできた。
そうでなくても、テレビ出演が非常に少ない風。思わず食いつく。

満を持しての(?)冠番組がコントっていうのは、今世間一般的に印象づいている風のイメージ、つまり稀代の才能の持ち主であるが、楽曲(歌詞)の壮大さと露出の少なさ、ついでに岡山弁トーク(曲も)ということもあり、ひょっとして変わり者でとっつきにくい人?というのを払拭するためなのだろうか?と一瞬思ったが、いや、たぶん本人がコントやりたかったんだと思う。

ご本人は、番組発表の前後で、Twitterで(たぶん)高校時代、学内のイベントで前説してバンバン笑いをとっている動画をアップしている。「わし、昔はこんなひょうきん者やったんよ。だから今回のコント番組も大丈夫だから」と、私のような風の゛もはやオカン目線”のファンを安心させていたような気がする。(勝手に私が思っているだけです)

 

コントと言っても構成は、良くも悪くもセカンドアルバム「LOVE ALL SERVE ALL」の楽曲紹介がメインだったようだ。シソンヌ、ヒコロヒーと、最近頭角を出しているお笑い芸人さんたちの協力を得て、藤井風のキャラクターが垣間見れた。
ファンはもともとYouTubeやアプリ、LiveやTwitterを通じで彼のお茶目さを感じていたと思うし、何をおいても今回の「MUSICA」の80,000字に及ぶ”半生を語る!インタビューを読んだ人なら、本企画も全然不思議ではない。
1番違和感を持ったのは、番組でも紹介されていたけれど、共演することになったヒコロヒーとシソンヌたちだろう。

正直私は、わはは!可笑しかったーとはならなかったけれど、ヒコロヒー、シソンヌの芸人さんとしての実力は改めて感じたし、何はともあれ藤井風ファンとしては、2回ループで見たほど、楽しい30分間だった。

番組最後に「(やってみて)どうでした?」と聞かれた時の、藤井風の「全然(わし)できかんかったー」みたいな自分への不満げな顔が小学生みたいで憎めない。芸人さんたちのアドリブ、適応力の高さにその時は打ちのめされていたようだ。

だけど、彼の生演奏・歌唱に、芸人さん、スタッフさんも心を奪われていたのは間違いないと思う。ひょっとしてこの企画、生で藤井風の歌とピアノを聴きたいための、制作者側の”贅沢”だったのかも・・というか、あの場にいられたら、幸福だっただろうなー。
テレビ朝日さん、こんな番組を作ってくれてありがとう!

 

来週はdisk2と題して「LOVE ALL SERVE ALL」の残りの楽曲を紹介予定。さらにお笑いを掘り下げた?風を見られるか?
番組の中でのライブ映像も楽しみで仕方ない。

全国ホールツアー、当選するといいなー。

news.tv-asahi.co.jp

 

 

 

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「フェイクスピア」NODA・MAP 第24回公演(2021年):これこそ、生で観なきゃね

(昨年公演された本作をWOWOWで鑑賞しました。以下、ネタバレしています)

 

野田秀樹が言うところの「コトバの一群」が引用された終盤のクライマックスは、圧巻としか言いようがない。
墜落直前の飛行機の搭乗員に扮する、高橋一生、川平慈英、伊原剛志、村岡希美が発する言葉は、ボイスレコーダーに残った最後の数分間の彼らの戦い。緊迫と絶望と最後まであきらめない強い意志が、揺れる機内の混乱を表す群像の動きと共に、観る者に波のように打ちかかり、異様な緊張感と込み上げて来る熱いもので体中がいっぱいになった。

そのシーンもそうだが、動きの演出はさすがだ。開始直後の森の中の木、後から思えば、飛行機が山に墜落の瞬間を表した群舞のような動きも素晴らしい。役者の身体表現を妥協することなく追求した演出に、野田秀樹、健在!を感じた。

と、偉そうに書いているが、私は野田秀樹の舞台をこれまで見たことがあったっけ?
学生演劇をやっていた頃は小劇場ブームで、野田秀樹が主宰する「夢の遊民社」は仲間の一人が憧れていたっけ。私は岡山から大阪に来たばかりで、それまで小劇場の芝居なんて観たこともない。演劇部に入ってから先輩に連れられ、学生演劇や当時はやりのアングラ芝居、小劇場の公演を観た。当時、すでに遊民社のチケットは取りにくかったように思う。でも舞台上で飛んだり跳ねたりする、遊民社の舞台の記憶がある。それとも観たつもりになっていたのだろうか?どこで誰と観たかも皆目忘れている。

あれから何十年も経って、その間の野田秀樹の活躍は言うまでもない。

そして、何に驚いたかというと、野田秀樹本人が役者として登場したこと。まあまあの御年のはずなのに、華奢な体で軽やかに飛んだり跳ねたり!と縦横無尽に好き勝手に、舞台上をたぶん一番イキイキと!駆け回っていた。

 

クライマックスに持っていくまで、”言の葉”を探す男、修行中のイタコ、自殺を考えていた元地下鉄職員、星の王子さま、そしてシェイクスピアを語るフェイクスピアら、それぞれが語るコトバと場面がスピード感と躍動感満載で展開していくのは、観ていて楽しい。

高橋一生を始め、白石佳代子や橋爪功に交じって、前田敦子がイタコ見習い(白石佳代子)の母親!や星の王子さま役の演っていて、やや一本調子なセリフに聞こえたとしても大健闘だった。

白石佳代子と橋爪功は同い年で御年80歳ですと!あの台詞の量、動きは何ということか!橋爪功に至っては、劇中に高橋一生の子供になる時があり、小学生くらいの子どもとしての台詞を、くたびれた老年期に入ろうとする男のいで立ちのままでしゃべり、それがその子どものものとして聞こえてくるから不思議だ。

また、高橋一生は言うまでもないが、上手い。舞台俳優として本当に上手いと思った。
以前「第三舞台」に出演していた高橋一生を一度だけ観たことがあるのだが、その時は筧利夫の面白さに気がいってしまい、一人整った顔の俳優がいたな、と思ったくらいだった。(それでも作品上は主役の次、2番手だったと記憶しているのだが)

 

正直、本作、一度観ただけでは理解するのは難しいと思う。見慣れた人ならそうでもないかもしれないが、私のように野田作品をほぼ初めて観る者にとっては、一つのテーマをいくつもの角度から重厚感たっぷりに描き、しかも展開もスピーディなので頭が追い付かない。

それでも、小劇場に足繫く通っていた頃の学生時代を思い出させてくれ、なんだか懐かしかった。つい、当時観ていた劇団についてググってみたりもした。「第七病棟」「黒テント」「劇団そとば小町」「劇団☆新感線」・・・

余談だけれど、私は就職した後、やっぱり劇団に入って役者をやってみたいと思い、会社員をしながら小さな劇団に入り、旅公演などもこなしていた時期があった。大阪で公演した時の打ち上げで「劇団新感線」は、学生演劇の繋がりで一升瓶を差し入れしていた話などをしていた時、当時の座付き(作家兼演出)が「彼らと君の違いは何だったと思う?」と聞いてきた。「才能があるかないか、かなあ」と言ったら「いや、彼らはそれ(芝居)1本で続けたことだよ」と言われた。

そんなもんかなあ。

今度、NODA・MAPの公演があったら生で観たいと思う。

www.nodamap.com

 

「LOVE ALL SERVE ALL」藤井風

何なんだろう、この中毒性は。

いや、最初にMVで「まつり」を聴いた時、和調のサウンドに藤井風ならではのリリックとメロディ!と思ったけれど、言うて即アルバムを買おうとは思わなかった。
その前に聴いた「燃えよ」、その前の「旅路」と比べると、私の中ではそんなにインパクトがなかったのだ。しかし、先日ブログにも書いたけれど、J-WAVEにゲスト出演した時、風本人が収録曲を紹介していて、それを聞いて即刻購入した。

 

以来、毎朝(支度時)、毎夕(散歩時)聴いた。それからしばらく、風の曲とともに起床する毎日だった。(起きた時から勝手に頭の中を回っている)

この中毒性はなんなのだろう?

  • 「へでもねーよ」は、MVの着物姿の藤井風があまりに変で、それに引っ張られあまり好きでない曲だったのに、映像なしで聴くと(アレンジも違うのだろうけれど)、めっちゃ良い曲だった!

  • 「やば。」は、本当にヤバい。
     「何度も何度も墓まで行って
      何度も何度もその手合わして・・」
    どうやったら、こんな歌詞が浮かぶのだろう・・。世代が全く違うのに、自分がまだ郷里の岡山にいたころ、彼岸やお盆に、それこそ先祖のお墓に参って手を合わせていた、そんな幼い日の光景が頭に浮かんだ。ひょっとして、同郷の風もお墓参りをちゃんとした口なのだろうか。
    とにかく、リフレインのメロディのリピートが破壊的。

  • 「燃えよ」を聞くと自然と涙が出そうになる。
    冒頭の「しょげた顔をひっさげて・・」を聴くと、昨年の「Fujii Kaze ”Free” Live 2021」の広大な緑の芝生と、ポツンと置いた黒いピアノ、その前に座る風の光景が鮮烈に目に浮かぶ。あの時、コロナ禍で観客を入れることができなかった日産スタジアム。インターネットを通じて、モニターの前に座る何十万という観客を想像したのかどうかは知らないけれど、彼が届けた歌、思い、情熱、そして愛を感じた。当時の自分が感じていた閉そく感、それを解放してくれた1時間が、愛おしくて、彼の覚悟と勇気に泣けてくるのだ。その時の感想を書いたブログはこちら。(二つあります、こちらもどうぞ。)

  • 泣けてくると言えば、アルバムの最後に収められている「旅路」、これもだ。乃木坂46の齋藤飛鳥(だったと思うのだが)も、この曲を聴くと涙が出る、と言っていた。
    私も「あーあ 僕らはまだ先の長い旅の中で」のさびの部分で、突然鼻の先がツンとすることがある。別に落ち込んでいたり、いら立っていたり、怒っていたり、悲しんでいたりした時でもなんでもないのに。日常の、例えば洗濯物をたたんでいるような時に聴いた時でも、なんだか突然全ての在り様をオッケーと言ってくれているような、そんな寛容さを感じる。
    郷愁を誘い、許しをくれ、明日への一歩を後押ししてくれるような優しいメロディラインと藤井風の声に浄化される・・。

  • アルバムをAmazonで買った時、レビューに「ガーデン」を聴いて、というコメントがあった。この曲は一瞬、風っぽくないと感じた。単調なメロディが繰り返されるのだ。しかし終盤転調して(皆、そう来たか!と思うに違いない)、盛り上がっていく。そして歌詞はやっぱり風のそれ。優しく、美しく、なんだか壮大なんだな。

 

聴きながらこれを書いているのだけれど、やっぱりどれもええ曲や。数回聴いただけで耳に残るメロディと、繰り返すフレーズ。
そして、ふとあることに気づいた。「へでもねーよ」でも書いたけれど、MVを見ながら聞くのと随分印象が違うのだ。「”青春病”」もそう。視覚の情報がないほうが、藤井風の本質に(いや、本質を正確に知り得ているわけもなく、あくまで私が勝手に描いているそれ、ということにしておく)、音を通して触れられるような気がするのだ。

それだけ、彼の楽曲が聴く者のイマジネーションを膨らませるということかもしれない。

また、しばらく彼の曲が頭を回ってそうだ。今は「damn」が回ってます。

収録曲全て「LOVE ALL SERVE ALL」― タイトルのままだ。

LOVE ALL SERVE ALL (初回盤)(2枚組)

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茶色いの=我が家の愛犬、久喜

最近、家人が久喜のことを゛茶色いの゛と呼んでいる。見たままなので異論はない。

愛称としていかがなものかと思われるかもしれないが、モフモフした茶色が、ドアのガラスに写ったり、階段をフニフニ降りたり、モップみたいに机の下に丸まっていたり…。

私たちにとっては、たまらなく可愛い、動く茶色いやつ。


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「カムカムエヴリバディ」- 15 :備忘録(楽しかったー!の余韻反芻)

本作について、いろいろ、くどくどと書いてきたが、毎日視聴する中で一人楽しんでいたことがいくつかあったので書き残しておく。

  1. るい(深津絵里)と錠一郎(オダギリジョー)の髪型
    この二人の髪型が、実にその時々の時代を表していて、見ていて楽しかった。二人ともウィッグの時もあったよね。というか、深津絵里は終盤のショートヘアが自分のスタイルなのかな、あとはすべてウィッグ?とにかく、よく変わった。70年代のヒッピースタイル(?)のオダギリジョーが、らしくて、でもあんなお父ちゃんいる?って感じがサイコーでした。
  2. 伴虚無蔵(松重豊)
    最初、映画の中の悪役で登場し見事な切られ役を演っていた時、松重さん、相当楽しんでやってるわあ、と思った。まさかその後、本作の3人目のヒロイン、ひなた(川栄李奈)のターニングポイントごとで重要な役どころとなるとは!
    劇中を通して武士言葉を貫き、武士として生き、歯を見せることもなかった。当てずっぽうではあるけれど、時代劇全盛時代、確かに松重豊は切られ役、悪役の浪人役で「水戸黄門」などに出演していたんじゃなかったっけ?
    伴虚無蔵は、映画「ラストサムライ」に出演した大部屋俳優、福本清三へのトリビュート。そしてその「ラストサムライ」は、劇中のハリウッド映画「サムライベースボール」に重なる。

  3. 五十嵐文四郎(本郷奏多)
    私の中で「キングダム」の悪役が強烈に印象に残っている本郷奏多。
    ひねくれたヒール役がよく似合う、人の握ったおにぎりが(気持ち悪くて食べられない)と言っていた本郷奏多。(もし記憶違いだったらと思ってググってみたら、やはり極度の偏食家・・と出てきた)
    私の中では朝ドラのヒロインの相手役にかなり遠いイメージだった彼。
    しかし、しっかり胸キュンシーンを川栄李奈と演じていた。そして、改めて見ると、とてもハンサムである。
    でも本作での、あのひなたとの別れ方。そして再会。それに続くもう一度のさよなら。
    やはり、本郷奏多であった・・・。(何が言いたいか伝わらないかも・・。)
    しかし、本作で私の中で固定されていた彼のイメージは少し崩れたのも確か。次はどんな役を演じている本郷奏多に出会えるだろう。目撃するのが楽しみだ。

  4. 「On The Sunny Side Of The Street」
    言わずもがな、本作でも重要な要素となった、ルイ・アームストロングの、超有名なジャズ・ソング。聞いたことはあったけれど、そんなに意味を考えたことなどなかった。
    しかし、本作は、暗闇の中で一筋の光すら見失った錠一郎が、ルイ・アームストロングの名前からとった「るい」という名前の女性と共に”ひなたの道を歩く”ことをあきらめなかったサイドストーリーもあった。ものすごい年月(30年くらい?)をかけて、ちゃんとひなたの道を見つけて家族と共に歩く彼の姿を思い出すと、柔らかな勇気が湧いてくる。人生、生きていれば、そしてひなたの道があることを忘れずにいれば、そんなにひどいものにはならない。落ち込んだ時や煮詰まった時に、この歌と共にそのことを思い出そうと思う。

「カムカムエヴリバディ」- 14 :まとめ ― NHKさん、素敵なお話をありがとうございました

私の中で朝ドラ史上最高だった!「カムカムエヴリバディ」

城田優の優しく深みのある声で、”A long time ago, ”と、おとぎ話のように始まる本作は戦前から現代まで、母子3代を通して市井の日本人の100年を描いた。
戦争、敗戦、高度経済成長時代から現代を、女性の生き方に流行りの歌やカルチャー(時代劇含む!)を添えて。中高年にとっては懐かしい曲、流行りものが都度登場し、超ノスタルジック!な気分にもなれた。

 

それにしても、最終回から一つ前の回はまさに神回だった。
錠一郎(オダギリジョー)が初めて「On The Sunny Side Of The Street」に出会った場所でのクリスマス・コンサート。トミーが何かを企てていたのはわかっていたが、なんと!るいが歌う本番で、かつて錠一郎が吹いた「On The Sunny Side Of The Street」のトランペットの音源が会場に流れたのだ。

その時のオダギリジョーの表情が本当にいい。驚きと感謝と幸福感と、そんなものが入り混じった顔で静かにそれに合わせてピアノを弾き始める。やたら涙もろい最近の俳優と違って、彼の目に涙はない。驚きと感動の表情のるいも、涙を流すことなく、しっかりとジョーたちの演奏で「On The Sunny Side」を歌い始める。その回の最初の山場である。
るいが歌い始めてほどなく、アニーこと安子(森山良子)を背負ったひなた(川栄李奈)が会場に。すぐにアニーを見つけたるいは一瞬固まり、歌うことができない。しかし、しかし!そこがるいの強いところ。そもそも歌は母、安子に届けるために歌うことにしたのだ。自分の母への思いのたけを込めて、力強く歌い終えた。それが本当にすばらしく、ああ、だからるい役は深津絵里なんだーと、こちらはもやは号泣を通り越して嗚咽しながら一人納得した。

歌い終わるとすぐ、安子のもとに駆け寄るるい。そこに言葉はない。ここで視聴者はもれなく”追い”涙。(追い鰹、みたいね)

 

その前の回も、アメリカに帰国する安子を岡山から関空まで追うひなたの緊迫した状況が、ゴージャスなジャズミュージックとともに描かれ、以前見たことのある演出を思い出した。シーンやセリフのリフレインは、本作の真骨頂ということで、まんまと策にはまり、緊迫感を心地いいテンポで味わえた。

「たちばな」のあんこの、その後のエピソードといい、ひなたが映画村で出会った初恋の外国人の少年、ビリーに関する回収といい、本当によくできた話だなーと感心ひとしきり。

終わってみれば大満足、大大ハッピーな視聴後感しかなく、NHKさんに感謝さえした。

久しぶりに深津絵里という唯一無二の女優さんを毎日見せてくれ、そして、オダギリジョーという俳優を再発見させてくれて、本当にありがとうございました。

 

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