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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「リバーサルオーケストラ」-3:意外な場面の台詞が心にスッと響く

前回の放送で、いつのまにかチェロの玲緒(滝内公美)とティンパニーの藤谷(渋川清彦)が電撃的に結婚していることがわかった。ドラマ、そしてそのドラマのサイドストーリーとはいえ、すごく嬉しい展開だった。

その前の回で、玲緒がただ結婚願望の強いイケメン好きな女ではなく、音楽家として複雑な内面を抱えて玉響(オーケストラ)に在籍していることがわかった。オーケストラに入れるという音楽の才能を持った人でも、天才と言われる人の存在は自らの限界を映し出す鏡のようで、身近にいれば苦痛を感じることもあるのだろう。初音(門脇麦)という天才ヴァイオリニストが玉響に入ってきて刺激になり発奮もしたが、一方でその演奏を聴くことで湧き上がってくる劣等感に苛まれていた玲緒。

そんな玲緒のことを、自分も天才ではないと自覚している藤谷が慰めたことが急接近のきっかけだったようだ。二人で居酒屋で飲んでいる時の、藤谷の言葉が心に響いた。

「俺たちは天才ではないけれど、一つのこと、好きなことをやり続けることができる、これも才能じゃないかな」(正確ではないと思うが台詞の主旨はこうだったと思う)

この台詞、レベルこそ違うけれど自分に当てはめて救われた気がしました。

・いつまでたってもモノにならない私の英語(モノになるとは、仕事で普通に使いこなせるということ)

・まもなく5年になるというのに、一度もバズったこともなくアクセスも一向に増えないブログ

時々、なんでやってんだろう・・と思うこともあるけれど、でも書くことも英語も好きなんだよね。それに、私にとって書くことはストレス発散になるし、異国の先生との会話は気晴らしになる。

続けていることだけでも良しとしよう。カタツムリの歩みだけど、それでも少しはうまくなっていると思うもの。

 

天才の傍で苦悩する凡人がいるなら、その天才自身も苦悩している、そこもしっかり描いているのが本作。

天才らしく天真爛漫な一方で、強さも弱さも持っている初音を、門脇麦がパワフルに好演している。たまたま先日番組サイトを見ていて、主役2人、麦と田中圭に密着したスペシャル動画を発見した。二人とも半年かけてヴァイオリン演奏、指揮棒を振る練習をして撮影に臨んでいる。だからかあ、門脇麦=初音のヴァイオリンも堂々といているし、田中圭=常葉朝陽の指揮もカッコいいものねー。

 

物語はいよいよクライマックスへ。

もちろん、ハッピーエンドは想像つくけれど、それでも今から感動的なフィナーレを想像して楽しみで仕方ない。

 

cu.ntv.co.jp

 

 

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「クライ・マッチョ」(2022年):クリント・イーストウッド、歩く姿がバイデン大統領に似ているのだが

御年90歳を越えて乗馬する姿を披露できるクリント・イーストウッドに、心より賞賛を贈ります。

 

元ロデオのスターで、今は老いぼれの調教師の男と、両親の愛を知らない少年、少年が可愛がっている闘鶏のマッチョ(鳥の名前)のロードムービー。

メキシコに暮らす薬中の母親から少年をさらい、アメリカの父親の元に連れ戻すミッションを得たマイク(クリント・イーストウッド)。小生意気な少年、ラフォとマイクは最初こそギクシャクしたが、母親が放った追手を協力してかわしながらアメリカに向かううちにお互いを認め合っていく。そしてラフォはマイクから虚勢の”マッチョ(強さ)”ではない、本当の強さについて学んでいくことになる。

メキシコからアメリカへ、乾いた大地の中、カフェを営む未亡人、マルタとその孫たちと出会いでひと時の安らぎを得る二人。また、ある町では、マイクの調教師の(動物を看ることができる)能力が役に立ち、うまく追手から隠れおおせることもできた。

老人になっても、なおカッコいいクリント・イーストウッドの”男の美学”がぎゅっと詰まった本作。広大で乾いたメキシコとアメリカの大地に生きる人々の姿。現代の話であるはずなのに、カウボーイが登場する”西部劇”の赤褐色のフィルムを感じたのは私だけ?
追われながらのロードムービーということで、前作の「運び屋」を思いだしたが、あそこまでハラハラドキドキはなく、少年と鶏(いえ、闘鶏)マッチョの存在、マルタ一家との交流で、硬派(男臭さ)と柔らかさが程よくミックスされた上質な人間ドラマだった。

ラストの幸せな展開は、私には思いがけず、主人公が老人ということで偏見があったのは自分であることを反省した。

人はいつでもやり直しができる。本当の強さとは何か。

クリント・イーストウッド監督作品からは、人生の苦さと喜び、生きることのへの勇気をもらえる。

 

クライ・マッチョ(字幕版)

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卒業式用に、桜モチーフのネイル:母と娘のネイル日記

娘の高校の卒業式に出席した。

人生の節目となるセレモニーって、やはり大事だと改めて思った。目で見て聞いて、その場の空気に触れ、心と体で卒業を迎える全員を祝福し、子育ても一区切りついたと感じることができた。

卒業生を代表して挨拶した生徒が、両親への感謝の言葉のところで一瞬涙で言葉を詰まらせた時、保護者の中から涙を拭う姿がちらほら見えた。

自分もうるうるしながら、ここに至るまでの3年間、順調とは言えなかったのは私だけではないのだと思い、ここに参列する保護者の皆さんが急に同士に思えてきた。

ありきたりだけど、娘のこれからに心からエールを贈るよ。がんばれ、娘。

 

写真は、娘に卒業式用にやってもらったネイル。桜をモチーフにピンクと緑で私がデザインした。ピンクと緑の境界線にラメのラインは娘のアイデア。色のトーンについては、娘のアドバイスでパステルにして正解。やはり"老いては子に従え"を実感しました。

 


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ドラッグストアのお姉さん:老々介護の親を月1で訪ねる

月1回のペースで、認知症が進行中で要介護5の母を看ている父と、母に会いに実家に帰省している。


また実家でのエモい体験をつづることになって恐縮だが、これは私のブログ(日記)だから、感情の記録として書き留めておきたいと思う。

 

先日の帰省時に、おむつを買いに近所のドラッグストアに行った。いつも父の会員カードを出してポイントを付けてもらうのだが、カードを受け取りスキャンしたお姉さんが「おじいちゃん、大丈夫ですか?」と声をかけてきた。「?」と一瞬驚いたが、カードでわかったのだとすぐ納得した。

「この間は、違うおむつを買っていたので」

「たぶんパットのほうだと思います。父はこのおむつも買いますか?」

「(商品表示のところを指し)いつもこの部分を切り取ってこれと同じものを、と買われますよ」と言った。

「気にかけてくださってありがとうございます」

簡単な会話だったけれど、温かく父のことを気にしてくれているお姉さんに一瞬感激した。

ドラッグストアを出て自転車に乗り実家へ向かう途中、自分でも驚いたのだが、突然涙が溢れてきた。何に対しての涙?と自分でもわからなかった。父を気にかけてくれたお姉さんへの感謝にもあるが、たぶん、商品表示を切り取って、同じものをと購入している父の姿が目に浮かんだからだ。

自分だって衰えてきているのに、週6回のデイサービスを利用するだけで、ヘルパーさんやショートステイも利用せず、母を一人で看ている父。娘たちや周りがいくらいっても頑固を通している。話がかみ合わないことも多々あるし、気に入らないことを言うと私たちに対してもひどい言葉を投げることもある。本人は傷つける気はないのだろうが、相手の気持ちを思いやる余裕が、その時の父の心にはないのだと思う。
(実は今年の正月に帰省した時がそうだった。)

育ててくれた父母への恩は忘れないけれど、それぞれ別の人間同士、親子でも相性が合わないことはある。自分の親をそんな冷めた目で見ることが、この年になって初めてあった。

だけど、老いてもなお、自分がしくじらないように、工夫して今の暮らしを維持しようと踏ん張っている父のことを、ただの”頑固おやじ”として放っておくことはやはりできないと、マスクの中でしょっぱい涙を感じながら思った。

頼まれてこそいないが、やはり、来月もあまり間を置かずに両親の顔を見に帰ろうと思う。

 

 

 

 

桃の節句:今年も無事お雛さまと再会しました

娘は今年18歳になり、成人した。
彼女が生まれたその年からお雛さまを飾っているので、今年で19回目。いつも一人で、ほとんど夫しか使わない3階の部屋の棚に飾っている。

3月3日は、私たち夫婦の結婚記念日ということもあり、お雛を購入した時におまけでくれた貝合わせも、夫婦円満を願って律儀に毎年お雛さまに添える。

桃の花を隣に飾り、毎年内裏さまとお雛さまのお顔を拝み、お道具を添え、結構楽しんでいる自分がいる。

 

実家にあった、姉が生まれた時に購入された五段飾りのお雛さまの道具は、剣は鞘から抜くことができたし、箪笥の引き出しも引きだすことができた。鏡も両開きだった。三人官女、五人囃子、靴持ちなど表情豊かな人形たちを眺めながら幼い頃から飾ったものだ。幼い子が触って飾っていたから、年月を経て髪の毛も乱れ、結構ホラーな官女もいたけれど、私はそのお雛さまたちの、細面で上品な笑みをたたえたお顔が好きだった。

娘のお雛さまを選ぶ時も、お顔重視で選び、たまたまそのお雛さまが、赤ちゃんだった娘の顔に似ていたのでそれに決めた。
そして今年、しみじみお雛を見つめて、やはり成長した娘にも似ていると思った。

娘に対する様々な思いを巡らせながら、毎年飾るお雛さま。

今年も無事飾れたことに安堵した。
たぶん私は、娘が家を出た後も、このお雛さまを毎年飾り続けるだろうと思った。


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お雛さまについては、感慨深いものがあって、過去にもこのブログにつづっている。

自分の日記を読み返せる幸福。ブログをやっていて良かったと思う。

2020年「おかんのひな祭り」

2022年「血豆の仕事:10日間観察してみた」(お雛さまがメインじゃないけれど)

 

 

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藤井風と神様:やっぱり、いいものはいい!

藤井風の歌詞には、時々「神様」という言葉が出てくる。それで最初、彼はキリスト教徒なのかなと思ったことがあった。若干二十歳そこそこの若者が、あんなふうに優しく、許し、包み、人を癒すような言葉が紡げるのが大いに謎だったこともあり、当初彼の楽曲をむさぼるように聴いたし、彼に纏わる記事もググって読んだ。そしてついに「MUSICA」のロングインタビューで、彼が父親の影響を大きく受けていることがわかった。

彼のファーストアルバムのタイトルにもなっている、"HELP EVER HURT NEVER"の高邁な発想も父親譲りの座右の銘とのことだったが、セカンドアルバムの”LOVE ALL SERVE ALL”も含め、これらの言葉がサイババの教えてあるということが最近になって広く知られるようになった。同時に今までなかったネガティブな藤井風に関する記事を目にするようになった。(私が目にしたのは、こちらの「女子Spa!」の記事)

彼の言葉だと思って聴いていたのに、サイババのパクリだったのかとがっかりした人って、やっぱりいるのだろうか・・?逆に私は、彼のスピリチュアルな部分の謎が解けてスッキリしたけれどな。

彼の言う"あなた"とは、だいたいが自分の中にいるhigher self のことらしいことは、いくつかのインタビュー記事を読む中で理解していた。なりたい自分、あるべき自分、元々ある善良な自分をいつも見つめていて、それが現実の自分に語りかけたり、逆に現実の自分が、higher rselfに語りかけたりしている。higher selfの考え方もサイババ信仰からくるものだとしたら、よりホンモノだろうし、自ら悟ったと考えるよりも逆に納得できた。

騒ぎを大きくしたのは、宗教二世(たぶん問題となっている統一教会?)のファンによる、彼の作る楽曲はサイババ信仰の”ステルス布教”ではないかと言う問題提起らしい。しかし、藤井風のファンになってサイババを信仰するようになった人がどのくらいいるのだろうか。

 

ところで私は、去年秋に出た「grace」をひとしきり聴いた後しばらく風を聴いていなかった。TBSドラマで結成されたBLOOMに一時夢中だったこともあるが、紅白の藤井風のパフォーマンスが前衛的すぎて、お腹いっぱいになったこともある。(「死ぬのがいいわ」はとても好きな曲だけど!)

しかし、しかし、このサイババ騒動で、藤井風のルーツに少し触れ、彼の言葉の謎が解け、もう一度ファーストアルバム、セカンドアルバムと何度か聴いたけれど、やっぱりいいものはいい!癒され、大切な人を想い涙し、勇気をもらえる。あの歌声、メロディは”天からの才能”=ギフトのだと思う。

そして彼の楽曲から届くのは、もっと自由に、自分を信じて、他人を愛して生きようというメッセージに他ならない。同時にまだまだ悩む若者の姿(=風)もそこにあるし、それをさらけ出しながら、理想の自分に近づくべくもがく姿も、やっぱりまぶしく美しいとも思う。

 

 

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2月4日は、母と子のネイル記念日

ジェルネイルを初めてしたわけではない。

ネイルが趣味で、自分の爪にパールやハート、リボンをデコレーションしている娘に、初めてやってもらったのだ。そして娘も初めて自分以外の人の爪にネイルをやった日。

二人にとってそれぞれ"初"のネイル記念日。

 

娘はネイリストになるという。

以前会社の先輩で、マニキュアを欠かさない先輩がいた。彼女はリップカラーと爪の色を合わせていた。彼女曰く、化粧は鏡を見ないとわからないが、指先は、様々なタイミングで目に止まる。爪が華やかだと気分が上がると。

確かにその通りだと思う。自分の指先が荒れているのも気になるし、きれいにマニキュアをしている人を見ると、指先に気配りできることに、なんとなく余裕を感じるし豊かだなと思う。

人の気分を上げられる、ハッピーにしてあげられる仕事っていいなと思う。

 

写真は、私の希望のデザインに娘がアドバイスをくれ、左右で違うラメを使った春らしいネイル。

娘は本気モードではなかったけれど、爪に集中した表情が真剣で、好きなことを見つけて、それを仕事にしようとしている娘を誇らしく思った。


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