先日の日本×コロンビア戦で、試合前の国歌斉唱の時、テレビの前で一人大声で「君が代」を歌った。
最初に断っておくが、私は右でも左でもないし、これから書くブログもそう言った類の内容ではありません。
日本にとっては、勝つのは難しいと思われた強豪コロンビアとの初戦。緊張が高まるスタジアムを見渡せば、黄色一色ではないか。そして、先行して斉唱されたコロンビアの国歌、スタジアムを埋めるコロンビアサポーターたちにより、大音量で高らかに歌われた。
その後に、しずしずと流れる「君が代」の前奏。
大声で歌ってもなんか鼓舞されない静かな感じ。しかも短い。いや、文句を言ってる場合じゃない。これが国歌なんだから仕方ない。
遠く日本で応援している身として、がんばれーの思いを込めてテレビの前で歌ってやった。朗々と。(結婚式での讃美歌もしっかりファルセットで歌うタイプです)
ものすごく久しぶりに「君が代」を歌って(そういけば子どもの公立小、中で「君が代」は聞かないな。私の時代は小学校では歌ったけど。)、これええ歌やん、と思ったわけです。
ところで、最近こそないけれど、その昔公立学校での「君が代」斉唱を実施するしない、先生が歌う歌わないで世間を騒がせていた時期があった。「君が代」の「君」が天皇のことを指すから、「君が代」を小学校から歌うことを義務付けることで軍国主義の時代の天皇=神という思考に舞い戻る可能性がある、云々。「君」が天皇のことだとしても、天皇は国民の象徴であるのだから、日本国民すべてが、末永く繁栄することを願った歌とすれば問題ないだろうし、私に至っては「君」とは歌う人の最も大切な人であると解釈しているから、その人(の世=幸せ)が千代に八千代に永く続くことを歌うのは素晴らしいとさえ思うよ。
日本国歌「君が代」については、賛否あるのかもしれませんが、やはり、国を代表してこれからピッチで戦うという時、勇ましい歌でも高揚する歌でもないけれど、チーム・ニッポンとして、胸を張って国家というものを高らかに歌いたいものです。